2019年4月30日火曜日

女神イナンナとフルップの木_「神話と占い」(その50)_






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男たちの逆襲
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改革の波は突然のように現われ、母権制社会を崩壊させました。紀元前二六世紀頃、シュメールの都市国家ウルク(メソポタミアの都市国家、紀元前五○○○頃以前のウバイド期から文明が見られ、第一王朝~第六王朝まで栄えた。パルティア帝国支配下の起源前後にも人の移動があったがササン朝ペルシア時代に放棄された。現在のイラク)に、英雄ギルガメシュが登場します。


ギルガメシュはキシュの王アッカに攻められたとき城壁を築いて撃退し、反対にキシュの王を捕らえ敵国を征服したと伝わる偉大な王で、おそらく実在の人物です。アッシュール・バニパル(新アッシリア王、治世紀元前六六九~前六二六)王の図書館跡などから発見されたギルガメシュ関連の叙事詩は数種類あり、大別すれば実話性の高い「アッカとの戦い」と、そうでない英雄譚とに分かれます。


英雄譚としてはレバノン杉の森の番人フンババを殺す冒険譚「フンババ退治」、女神の使徒獣を殺したせいで〝女神の呪い〟を蒙る悲劇「天牛殺し」、そして〝大洪水を生き抜いて神に列せられた人間〟ウトナピシュティムに会って〝若返りの草〟を入手するが、水浴中蛇に盗まれてしまう〝バナナ型神話(人間が永遠の生命を失った理由を説明する神話のこと。フレイザー)〟「洪水物語」が知られています。


ギルガメシュ叙事詩と言えば『旧約聖書』創世記に登場する「ノアの方舟」の原型、「洪水物語(シュメール洪水伝承ジウスドラ、古バビロニア洪水伝承アトラム・ハシスに続くもの)」ばかり話題になりますが、多くの研究者が注目するのはギルガメシュにかいま見る人間の「覚醒」と、「自立」です。



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あるとき女神イナンナ(バビロニア名イシュタル)が聖園で育てていた樫の木の根元へ可愛くない蛇が棲みつき、小枝には獅子頭のアンズー鳥が巣を作り、幹に悪霊リリスがとり憑いた。太陽神ウトゥ(バビロニア名シャマシュ)に頼んだが何もしてもらえず、青銅の斧を奮い悪霊を追い払ってくれたのはギルガメシュだった。

蛇は消え、アンズーは山の頂へ飛び去り、リリスは荒野へ遁れた。ギルガメシュはまた、樫の洞に女神イナンナのための玉座と寝台を造ってくれた。女神イナンナはギルガメシュが樫の根からプックとメック(おそらく太鼓とバチ)を作ることを許し、褒美として与えた



【メソポタミアの神話】ニネヴェ出土の粘土板、シュメール語「フルップの木」
Translated Diane & Samuel Noah Kramer
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2019年4月29日月曜日

空中庭園セミラミスの伝説_「神話と占い」(その49)_






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始めであり、終わりである、獣
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神話では多くの場合生け贄(男性)は「太陽」と「牛(馬、鹿なども。角もしくは蹄(ひづめ)、顎のある動物)」に、生け贄を受けとる女神(女性)は「月」と「蛇(サソリ、もしくは水中生物)」に関連づけられます。インド・アーリア族の神話《『リグ・ヴェーダ』『アヴェスター』など》では「牛」は始めの日、天地創造のために捧げられる「原初の生け贄」であり、終末の日、人間のために捧げられる「最後の生け贄」です。


つまり「始めであり、終わりである《『ヨハネの黙示録』》」獣なのですが、一方で「蛇」もまた、世界の神話に「始めの終わり」として出現する重要なモチーフ《世界需を取り巻くヨルムンガルト、ギリシア神話のウロボロスなど》で、古代の考え方ではこの二種類の獣は切っても切れない関係にあったようです。


ちなみにヴィシュヌ(インド)、ヘラ(ギリシア)、デメテル(ギリシア)など〝生きている〟神は「牛」が使徒獣、ハデス(ギリシア)、ペルセポネ(ギリシア)、ディオニュソス(ギリシア)、エレシュ・キガル(バビロニア)など〝死んでいる〟神(冥界神)の使徒獣は「蛇」で、そこから牛は「光(アフラ・マズダなど)」の、蛇は「闇(アーリマンなど)」の象徴なのがわかります。


牛が神聖視されたのは、体の大きさに比べて扱いやすく捕獲も飼育も簡単なうえ、頭の先から尻尾の先まで利用できる便利な動物だったからと推測されています。


蛇が神聖視されたのは脱皮を目撃した古代人が「蛇は古くなった体を棄て、新しい体で生まれ変わる」と思い込んだから、という説が有力です《プルタルコスなど》。蛇を家畜にすることは殆どなかったので、当時の人々は「蛇は死なない」と、信じ込んでいたのでしょう。人間の暮らしのために生命を捧げてくれる「牛」が「太陽」と、不死の生き物である「蛇」が「月」と結びつくのは容易いことでした。


古代(~青銅器時代)の人々の目には、太陽は毎日日没前に爆発(夕陽のこと)して死に、その紅い炎(太陽の血)が月女神のために地上を浄化するように見えました(ゾロアスター教など)。炎で焼き尽くされ浄められた大地には、静かな闇(女神)が訪れるからです。そのため太陽は犠牲と同定され、さらに一過性の生命である牛と関連づけられました。反対に、昼も夜も目視可能な月は不死の象徴として蛇に同定され、死と再生を司る女神の寓意になったのです。



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ニネヴェを築いた偉大な王ニヌス(治世紀元前八二三~前八一一、新アッシリア王シャムシ・アダト五世に同定)の妻、セミラミスの出生については伝えておかなければいけない。

その母デルケトーはシリアのアシュケロンの湖の女神であったが、女神アプロディーテ(イシュタル)の差し金で美しい男性信者に恋をして子どもを産み、この男性を殺してから自(みずか)らも水に身を投げた。しかし死ぬことができず、魚たちの母になった。湖の畔の岩場に置いておかれた赤児は鳩が一歳ごろまで育て、そのあとを継いだ羊飼いシンマスがセミラミス(鳩)と名づけ自分の子どもとして育てた。

セミラミスは美しく成長しニヌスの部下オンネスの妻に迎えられたが、ニヌスが娘を差し出してまでオンネスに妻の委譲を迫ったので、忠誠心と愛とに引き裂かれオンネスは自(みずか)ら首を吊って死んだ。

王ニヌス亡きあとセミラミスは女王として君臨し、バビロニアに都市を建設して宮殿に空中庭園を築き、メディアへ、次いでエジプトへ遠征した。そしてそこでアモン神の祭儀に臨席し、「自身の息子ニニャスに謀られて死ぬ」という託宣を得た。

インドへ遠征したあとニニャスが宦官と結託し女王の失脚を謀ったが、セミラミスは息子を罰せず、国家に王への忠誠を誓わせたあと、自分は人々の前から忽然と消えてしまった。神話では鳩になったと言われている。いずれにせよ治世四十二年、六十二歳で死んだことになる。



【メソポタミアの伝承】空中庭園を築いたセミラミスの伝説
シケリアのディオドロス『歴史叢書』第二巻
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ところでメソポタミアや古代ペルシアの遺跡から発見される「牛を殺す獅子」のレリーフは、〝牛=浄めの雨(血)〟が〝獅子=夏の太陽〟に征服されること、つまり「季節の移り変わり」を表していると言われ、一方、ダビデやヘラクレス、オイディプスなどの伝説に現われる聖王自身による「獅子殺し」は前の聖王を新しい聖王が殺すこと、要するに太陽神(人間神)時代初期の「聖王の代替わり儀式」を表現したと言われています。

いわゆる「神自身による神殺し」と呼ばれるモチーフであり、「時間の永続性」を讃えるものです。


犠牲祭が催される目的を「季節の巡りを促す」ためなどと説明してきましたが、もっと根元的な話をすれば「太陽が予定どおり動くよう、管理する」のが目的でした。






2019年4月28日日曜日

太陽と月、コーラン第55章_「神話と占い」(その48)_






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太陽を管理する、至高神
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太古(~新石器時代)の人々は「人間には、無から創造する力はない」と信じていました。だから「季節」や「時間」、「雨」や「芽生え」など自分たちで何か創ろう、為(な)し遂げようと思うときには、その利益に応じた交換品・生け贄を、捧げずにはいられませんでした。


その時代の考え方では、「生命が生命を産む」からです。男性の生け贄に「神の仮面」を被らせたり(ディオニュソス神の仮面など)、女神の化身である巫女と性交させたりして創造神の「御霊(みたま)を写」そうとしたのも、「創造神自身が、創造神を産む」と信じていたせいです。


男性や身分の低い女性たち、罪人の生け贄はしょせん女神自身の身代わりです。ですから、実際に女神の役を負っている巫女の力に少しでも疑念が生じれば一刻も早く後継者を選任し、現在女神である巫女の力が完全に失われる前に、すみやかに霊力を移譲させました。なお、女神自身の生け贄は、身代わりのそれより数段価値のあるものでした(至高神の身代わりである牝牛の生け贄は至高神に捧げられる)



『リグ・ヴェーダ(インド)』の巨人プルシャや『エヌマ・エリシュ(バビロニア)』の海水ティアマト(マルドゥクに敗れふたつに切断されて「天」と「地」になる)、『エッダ(北方ゲルマン)』の巨人ユミル(オーディンに敗れ臼=うす、で挽かれて「地」と「海」になる)のように切り刻まれ、宇宙創造の種となった原初神は「世界体」もしくは「宇宙体」などと呼ばれます。


プルシャは仏教においては毘廬遮那仏(ピルシャナぶつ=華厳宗の本尊)として知られ、万物を照らす太陽であり知恵の力で全宇宙をあまねく照らす知徳の光、すなわち「大仏」です(密教の大日如来)


「大仏」は宇宙大に広がる神だと言われますが、その理由は「切り刻まれて宇宙になった」からであり、毘廬遮那(ピルシャナ)が太陽と同定されるのは、『ヴェーダ』時代の祭儀が本当のところ、「太陽を管理する」目的で実施されていたことに由来します。

古代人にとって大切なことは、何より「太陽を管理する」ことだったのです。



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情け深くも神(アッラー)は、
クルアーン(コーラン)を授け、
人を創り、
ものの言えない物たちから分け給う。
情け深くも神は、
太陽と月とを計算どおりに働かせ、
星と樹木を従わせ給う。
情け深くも神は、
蒼穹(青い天)を高々と持ち上げて、
正義と邪悪を判定する天秤を、人のためにと設け給う、
汝、目方を誤魔化すなかれ、
公正を期すのだ、決して少なく量らぬように、と。
また神は、すべての生あるもののために地を据えならし、
そこには果実、ナツメヤシ、大麦小麦と香草が生い茂る。
これほどのお恵みを前にして、

さァ、さァ、さァ、何が嘘だと言いたいのか。


【イスラム教】太陽と月を管理する
『クルアーン』第五五節
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イスラムの象徴である三日月は「月女神の象徴」であり、女神の祭儀を執りしきる巫女たちが生け贄を切り刻んだ「三日月鎌」の寓意です。神の使徒ムハンマドの出身部族クライシュ族の守護神「アッラート」は、ギリシアの月女神レトと同定される、月女神でした。


古代社会においては昼に明かりを提供する「太陽」よりも、夜に明かりを提供してくれる「月」の方が偉大とされ、時代が古ければ古いほど至高神は「月神」と相場が決まっていました。


また、月の満ち欠けが潮の満ち引きと関係していたことから、月神は創造神でもありました。『ヴェーダ』世界や太古の昔のメソポタミア・エジプトでは、太陽は月神の使徒としての別相にすぎず、気温を上げすぎて干ばつや森林焼失を引き起こしたり、反対に気温を上げずに冷害や洪水を引き起こす厄介な存在でした。そこでその主たる月神のため、熱心に生け贄が捧げられました。






2019年4月27日土曜日

リグ・ヴェーダ、プルシャスの章_「神話と占い」(その47)_






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創造神の末路
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太古の昔(新石器時代~青銅器時代初期)、陰で「老女」と嘲られながら巫女たちが政権を握っていたころ、生き血を注いで土と交わり肉体を大地に埋められて女神(大地)と融合する「聖婚」は、男性を神格化する唯一の手段でした。受胎のメカニズムが周知される以前には、犠牲死することはもっとも古くもっとも正当な〝半神〟の在り方でした。


ゼウスやオーディンなど男性創造神が「中空」のモチーフを多用する理由について、「女性であるだけで〝繁殖〟の寓意になれる女神に対抗するには、それ以外方法がなかった」ように説明してきましたが、さらに言えば「捧げられて一度死に、女神の息子として生まれ直す」ことが男神が創造神になる必要最低条件だったので、生け贄死の後の蘇りを想起させるため、〝天から吊される中空モチーフ〟を多用せざるを得なかったとも言えます。


「中空」は、犠牲を死んだ体で描けば「(女神による)〝産む〟創造」を寓意し、そうでなければ「(男神の)〝蘇りの〟創造」を寓意します。聖セバスチャンのような〝中空で死んでしまった男性〟のモチーフは、言ってみれば「ぶら下げられた(女神の)生餌」のようなものです。


一方、この時代女性自身は幸せだったかといえば、必ずしもそうと言えません。女性はたいていそうですが、「自分の子どもだけ」が可愛いものです。女性主導で築き上げた母権制社会も、つまりは同族重用はなはだしい、極端な階級社会でした。


身分の低い母親から生まれた女性は配偶者を得ることができず、神殿娼婦として一生を終えるか、他人の使用人や奴隷として名前もないまま死にました《ソフォクレス『アガメムノーン』には、一生名前を持たない侍女たちが登場する》


知力、体力、美貌にめぐまれ、身分の高い母親から生まれた女性は巫女の職を振り出しに、努力次第で「女神」の座まで昇りつめることが可能です《サルゴンの娘エンヘドゥアンナや、パウサニアス『地理史』「シビュラの岩」、ヘロドトス『歴史』セミラミスの伝説など》。「女神」は筆頭巫女の地位ですが、時代が下るにつれ(青銅器時代初期)名称だけ「女王」に変わりました。


「女王」は祭儀の一環としていつも同じ名前の「新顔の夫(女神の生け贄となる「聖王」たち)」にかしずかれ、国の役に立つ優秀な子どもを次々と出産します。しかし、その栄光の果てには彼女の配偶者たちが辿ったのと同じ、恐ろしい運命が待ち受けていました。


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神々がプルシャを供物としたとき、春、夏、秋も手を貸した。太古に生まれた彼を、神々は賢者らと力を合わせ敷草の上で濯ぎ浄めた。神々がプルシャを切り分けたとき、彼の口がバラモン(「祭司」のこと、ブラフマナとも)になり、両腕がラージャニア(「王族・武士」のこと、クシャトリアとも)、両腿がヴァイシャ(平民)、両足がシュードラ(奴隷)になった。月は彼の心から生まれ、太陽は彼の眼から、雷神インドラと火の神アグニは口から、風の神ヴァーユは呼吸から生じた。

そうしてプルシャの臍から「空間」が生まれ、頭から「天上界」が顕れ、両足から「地上界」が、耳から「方向」が出来あがった。彼のためのパリディ(祭り火を囲む木材)は七本、神々がプルシャを生け贄として吊したとき、三十七本の薪が造られた。


【インドの神話】世界体プルシャスの供儀
『リグ・ヴェーダ』プルシャスの章
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女神の創造力に翳(かげ)りが射せば、創造神は自らの肉体を地の肥やしとして提供し、後身に道を譲らなければなりません。その決定の不条理さは、自分の意思と関係なく次の王と闘い、負ければ犠牲死しなければならなかった聖王たちに、勝るとも劣らぬものだったろうと想像します。


「女神の創造力」とは、つまり出産能力です。なので犠牲式のあと一度でも受胎しなければ、その理由が男性側にあったとしても、女神は引退を余儀なくされたことでしょう。


シュメール神話において豊穣女神イナンナは冥界で裸にされ、壁に掛かった鉤へ吊られて死にました。「裸にされる」というのは、神の霊力を奪われることを意味します。代替わり式では女王が着けていた装身具の「帯」、「首輪」「耳輪」「腕輪」などを文字どおり剥ぎとり、冥界女神エレシュ・キガル(イナンナの双子の姉妹)の仮面を被った後任者に、神官か巫女が手渡したろうと思われます。


前の女王(母)が吊されて死に死体が切断されて地に蒔かれたあと、冥界女神エレシュ・キガル(老女)であった後任者は冥界を模した祭儀所、おそらくは洞窟の最奥で忌み日を過ごし、春には新しい豊穣女神イナンナ(処女)として、晴れやかに再生したことでしょう。


女王(女神)に選ばれなかった巫女たちは、本物の「老婆」になるまで(巫女は「老婆」と呼ばれていた)、現人神(あらひとがみ)となった後輩巫女に仕えなければなりません。






2019年4月26日金曜日

前1200年のカタストロフ_「神話と占い」(その46)_






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海の民の侵攻
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ウガリットは現在の〝シリア海岸〟ラス・シャムラにおいて隆盛を誇ったカナン人(ギリシア名「フェニキア人」=パレスチナ人の祖先)の都市国家で、紀元前一五世紀から同一三世紀頃までが最盛期、青銅器時代末期であった紀元前一二○○年頃、「海の民」の侵入により突如滅亡したと推定されます《エジプト代二十王朝ラムセス三世治世八年目の「海の民」のエジプト侵入時、、「海の民」は分散しカナン地方へ入植している(「ハリス・パピルス」)》



「海の民」というのはいわゆる「前一二○○年のカタストロフ(前一二○○年に起きた地中海東部の社会変動のこと、古代ギリシアは文字文化を失い、後代「暗黒時代」と呼ばれる文化の低迷期を迎える)」の原因となった、主にエジプトへ侵入した海洋民族の総称《カイロ博物館二代目館長ガストン・マスペロ》であり、前述のとおり特定の民族を指すものではありません。


よく知られる記録は『メルエンプタハ碑文《カイロ博物館蔵》』、『ラムセス三世葬祭殿レリーフ《エジプト「メディネト・ハブ」》』、『〝大〟ハリス・パピルス《大英博物館蔵》』です。『メルエンプタハ碑文』は、史上初めてイスラエル民族の存在について記述した歴史的遺物としても有名です。同碑文には各民族名と帰属国家名が明記されているのですが、ここに彼らの国名が記されていないため、『旧約聖書』における「荒野をさまよっていた時代」と推定されています。


エジプト王の記録によると「海の民」の構成はギリシア人(ミケーネ、クレタ)、後代のローマ・イタリア人(エトルリア、サルディーニャ、シチリア)、アナトリア人(リュキア)となっており、エジプト沿岸において海上生活をする漂流民の集合体でした。「海の民」の民族移動はギリシアの史実としては「ドーリア人の侵攻」として知られ、ギリシア神話上は「ヘラクレスの後裔の帰還」として語られます。



この民族移動によりクレタ島のミノア文明(完全消滅したのは地震の影響)、ギリシア本土のミケーネ文明が滅ぶ(クレタとの仲間割れによる、相打ちの可能性も指摘される)とともに、楔形文字「線文字A(クレタ)」「線文字B(ミケーネ)」が消滅しました。


皮肉なのは「〝海の民〟ドーリア人」の侵攻によって崩壊したはずのミケーネ文明諸都市の人々(ミケーネ、ピュロス、ティリンス)が、海の向こうでは自身も「海の民」であった事実です。ドーリア人は、現トルコ・アナトリア方面から移動してきた「海の民」でした。のちドーリア人は都市国家スパルタを建国、古代ギリシアに新時代を築きます。



「前一二○○年のカタストロフ」により、メソポタミアにおいてはヒッタイトやバビロン第一王朝が滅亡、それを契機にヒッタイトの鉄器製造技術が地中海全域に広がって、鉄器時代の到来を促します。カナン人はその後南下しシドン(新バビロニアにより陥落)、ティルス(新バビロニアにより陥落)、カルタゴ(ティルス人が建設するが、ローマとの戦争=ポエニ戦争により消滅)を建設しました。






2019年4月25日木曜日

生命の等価交換、日の出の民を殲滅する女神アナテ_「神話と占い」(その45)_






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女神のルール「生命の等価交換」
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いま、聖殿の門は閉められた
祭司たちが最奥にある至聖所の、祭壇の前にへ集められた
そう見てとるや、女神アナテは平原へ出て、殺戮に着手した
ふたつの都市の息子たちの首を、彼らの胴から切り離した
岸辺の国からやって来た、王子たちをうち殺した
日の出るところからやって来た、民衆をせん滅した
斬り取られた首はハゲワシのように飛び交い
斬り取られた腕はイナゴのように飛び交った
嗚呼、刈り取った麦穂を束にし、掴んではまた積み上げるように
アナテは素早く攻め回る
首を斬っては後ろへ高く跳ね上げ
それを集めて紐でくゝり上げると
アナテの膝は兵士たちが流した血の海に浸かり
アナテの腰は戦士が流した血糊に染まった
アナテは背中を丸めて
祭司の手を借り、虜にされた犠牲者たちを聖別して回った

それからアナテは宮へ向かった
(みずか)らの宮殿に入り、自分自身を取り戻した
でも、平原での殺戮に、まだ満足はしていない
だからもう一度、戦士のための椅子をしつらえ
もう一度、兵士たちのテーブルを整え
もう一度、英雄が足を休める足台を置いた
それを打ち払って、眺め下ろした
それを斬り捨ててから、睨み下ろした
アナテの肝臓が、歓喜のあまり震えだす
アナテの心臓が、誇らしさに満たされる
アナテの手には、勝利と救済が握られていた
それを得るために、兵士の血の海に膝まで漬かり
それを得るために、戦士の血糊に腰まで染め
殺戮に充足されるまで
テーブルを切り裂いたのだ
しかしもはや、兵士たちの血は浄められた
オイルのような平和が、聖殿の壁を覆っていた
処女神アナテは手を洗う
至高神の女兄弟はすべての指を洗い浄める
(みずか)らの手に残る兵士たちの血を拭い去り
すべての指から戦士たちの血糊を拭い去ると
椅子を椅子の場所へ戻し
テーブルをテーブルの場所へ戻し
足台を足台の場所へ戻し
水を掬いとって洗い浄めた
恵みを授けるべく、霧が大地を水滴で浄めるように
雲の谷間に坐す彼の御方の、雨が大地を水滴で浄めるように
天上の霧が大地に力を注ぎ
天界の星が雨に力を注ぐように
アナテは幾千もの山々の峰へ放尿して巡り
排泄した糞(くそ)を海原(うなばら)へ投げ入れた


【カナンの神話】日出(ひいず)るところの民衆をせん滅する豊穣女神アナテ
ラス・シャムラ遺跡で発見された粘土板、REV. PROF. JOHN GRAY M. A., B. D., Ph. D.
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とり上げた詩は粘土板に記録されているもので、戦闘女神アナテの恐ろしさをものがたる、神話ファンおなじみの血まみれエピソードです。しかし前後の粘土板が失われているため、女神アナテがいったい何の目的で、何を祈祷されて兵士の血だまりに浸らなければいけなかったか、その文脈は本当のところわかっていません。「日出(ひいず)るところ」「日出(ひのでの)の民」という表現は粘土板に頻出する表現で、一般にペルシャ湾近辺を指すと解釈されています。

ウガリットは「海の民」の侵入により、滅亡したことが明らかになっています。「海の民」というのは特定民族の名称ではなく、この当時海上生活をしていた「のちのラテン系民族」を指しており、『旧約聖書』に登場する「ペリシテ人(ラテン語「フィリスティア人」、ミケーネ文明に属する「海の民」の可能性が高い)」などがその一部として知られます。そのため、ここでのアナテの殺戮は海からやってきた簒奪者とカナン人との攻防や、戦勝を祈念するための犠牲祭を連想させます。


太母神信仰時代の女神たちには、生命の等価交換が基本です。ひとり蘇らせるにはひとりの犠牲が必要で、ひとり殺すにもひとりの犠牲が必要です(願いごと一件に対してひとり、という計算)。相手の国を亡ぼしたいと祈念するには、相応の数の犠牲を捧げる必要があります。もちろん、奴隷では数が足りないため、粘土で作った人形などが大いに利用されました。

しかし「生命の等価交換の法則」は青銅器時代を迎え男神を中心とした万神殿が築かれるや、物語の中にわずかな痕跡を残すだけで、表向き人の意識から消えてゆきました。神々の階段の最下位に位置する身分の低い神と、最上位に座を占める至高神とが同規模の犠牲を要求するのは、階級主義にそぐわないからです。






2019年4月24日水曜日

古代犠牲祭の式次第_「神話と占い」(その44)_






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古代の生け贄社会
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カナン信仰が成立したと思しき新石器時代、豊穣を招来するための犠牲祭は、およそ次のような順序で行われたと推定されます。




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[豊穣女神招来の犠牲祭]

(1)
 犠牲が聖油を塗られて酩酊状態にされる

(2)
犠牲が至聖所の石の寝台へ寝かされ、女神と称する筆頭巫女と性交し、石の寝台の上で女神の息子(半神=ヘロス)として産み直される

(3)
犠牲が祭壇前の中庭へ引き出され、女神の使徒獣「牛」の仮面を被せられ、中央にそびえる女神の神木へ吊るされて、去勢される

(4)
犠牲が神官から矢を射られるか、首を伐り落とされて死ぬ

(5)
分解された遺体の一部(おそらく男根)は女神の木の根元に埋められ、その血によって女神が受胎したと神官が祝詞する

(6)
遺体の残りの部分が、祭儀に参加した部族長に配られる

(7)
部族長は装飾箱に入れた「種(遺体)」を地元へ持ち帰り、さらに細かく砕いてから、土地の長老たちと地元の苗場へ埋めて歩く


【新石器時代の犠牲祭】豊穣女神招来の犠牲祭
パリゾーニ監督・映画『王女メディア』
『旧約聖書』エゼキエル書
ラス・シャムラの粘土板など
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太古の昔(~新石器時代)、神殿を支配した迷信深い巫女たちは「生命は、血によって生み出される」と信じていました。そのため犠牲は死に先立ち神木の前で切り刻まれ、その根元へ生き血を滴り落とす必要がありました。


男性の犠牲に使徒獣の被り物をさせる理由については諸説ありますが、太古の人々の、良心の呵責ゆえかと考えられます(祭儀によっては、祭司が被り物をする場合もある)。理論的には虐待の痛みを犠牲から取り除き、女神の従者である聖獣に転嫁しようということなのでしょうが、本当のところ犠牲の悶え苦しむ顔を、神官たちが目の当たりにしたくないからに決まっています。


ローマの建国神話には、「天空の神々がわざわざ人の生き血を求める意味がわからん」という、哲人王ヌマ(架空の王)の憤(いきどお)りが収録されています《リウィウス『ローマ建国史」、オウィディウス『変身物語』など》。時代が進めば人は当然、犠牲祭の惨さに眉を顰め、祭りの意義そのものへの疑念を募らせます。


そうして青銅器時代になれば、女神の祭壇の前で首伐られる役割は女神の使徒獣そのものか、オルペウス教団が持ち歩いたような芽吹いた十字架(人形)が担(にな)う時代がやってるのです。ローマ人の人身御供嫌いは徹底しており、後代になるとキュベレーとアッティスの祭りは禁止され、「肉の燔祭(はんさい)」をしないキリスト教が国教になりました。






2019年4月23日火曜日

カナンの処女懐妊、死神モトを殺す処女神アナテ_「神話と占い」(その43)_







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生き血を求める女神たち
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仔牛を想う母牛の心臓のように
仔羊を想う母羊の心臓のように
アナテの心臓は雨の神バアルを恋い慕う
アナテは死神モトの衣の袖にすがったり
外套の裾にしがみついたりして
モトの歩みを前に後ろに遮(さえぎ)りながら泣き叫ぶ
おお、モトよ、我が弟を返しておくれ
 
すると死神モトが答えて曰く
おお、アナテよ、其方(そなた)は何ということを希(のぞ)むのだ
我はどこへも足を伸ばす、どんなさいはてにも手を伸ばす
大地の心臓へ続く、いかなる山へも
国の真ん中にある、いかなる丘へも
生命は人のあいだに堕ちたのだから
生命は大地にはびこる群衆のあいだにこそ、あるのだからな
我は豊穣の喜びの背後から忍び寄るものなのだ
それは死の岸辺というものの公正な路(みち)なのだ
つまりは我こそが、至高のバアルのお株を奪った簒奪者なのに
つまりは我こそが、至高のバアルをこの口の中で仔羊肉のように喰らったのに
至高のバアルは、この顎に運ばれ、仔山羊肉のように堕ちて行ったのに
嗚呼、そうだよ忌々しくも、至高神の栄光は、熱く輝き燃えたぎっていたとも
我のおかげで、天界における栄光ならば、むしろ前よりいやましていようぞ
 
死神モトはそう、自(みずか)らの主張を訴えた
アナテはそれでも、バアルを復活させてと懇願した
何日も、何ヶ月も、それは続いた
処女神アナテは死神モトに乞い続けていたが
しかし結局、恐ろしい破壊女神の気性が暴力に訴える
アナテはモトに掴みかかり
剣で切り裂いて
熊手で掻き分けて
火で焼いて
石臼で挽いて
土の中にまき散らした
モトの残骸は鳥がついばみ
モトの断片を野生の生きものが食べつくし
モトの残骸の残骸は粉々に分散して消えていった
 
するとかつてバアルを産んだ、創造神エルが夢を見る
バアルの肉体は滅びたのに
見よ!至高の神、豊穣神バアルは生きている
見よ!大地の主、創造神の御子バアルは生きているではないか



【カナンの神話】死神モトを殺し豊穣神・雨の神バアルを産み直す処女神アナテ
ラス・シャムラ遺跡で発見された粘土板、REV. PROF. JOHN GRAY M. A., B. D., Ph. D.
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女神アナテは古代の都市国家ウガリット(現シリア南部ラム・シャムラ)において信仰された戦闘女神で、ギリシア神話の戦闘女神アテナや、蛇の髪を持つ怪物メデューサの原型になったと言われる処女神です。



紹介したエピソードでは、処女神アナテは雨の神バアルを取り戻すため死神モトを殺し、死者と入れ替わらせることで「豊穣」を産み直します。性交を介さない神産みであって、これはもっとも古い「永遠の乙女《コーラン》」の在り方であり、「処女懐胎(『福音書』)」の姿です。






2019年4月22日月曜日

ドルイド僧による人間の犠牲祭_「神話と占い」(その42)_






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古代人の諦観
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ローマ人があらためさせた慣習なのだが、彼らは人の背中をサーベルで刺し、死を迎え痙攣する様で判じるという占いを行っていた。ドルイド僧さえいなければ、死なないですんだ人々だ。外にも矢で射たり、神殿の中で切り刻んだり、藁と材木で作った巨人の中に牛などの動物と人間とを一緒くたに投げ込んで火をつけ、〝焼き尽くす祭り〟(ギリシアの犠牲祭「ホロコスト」)を行っていた


【ガリアの記録】ドルイド僧による人間の犠牲祭(ホロコスト)
ストラボン『地理学』第四巻第四章
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太古(~新石器時代)の昔、男性の人生をもっとも圧迫したのは「生け贄になる恐怖」です。受胎の仕組みが解明されていなかったこの時代、男性はせいぜい労働要員か快楽要員だったため、用がなくなれば軽微な罪で容易く聖別されてしまいます。


また、あまりに〝美しい男性〟や〝歌の上手な男性〟、人並み外れて〝強い男性〟も巫女たちの愛玩物として一時的に厚遇されたあと、数年に一度の大祭で葉冠を被せられ、神への捧げものになりました。

たとえばヘラクレス(「ヘラの栄光」という意)などを主人公とする長大な「英雄伝説」は、女神ヘラの捧げものになった「ヒーロー」たちの武勇伝が、長い間にひとりの冒険譚として収れんされたものだと言われています。元来「ヒーロー」は「ヘラの子」を意味した言葉であり、そのように呼ばれること自体が、その人物の犠牲死を意味しました《フレイザー『金枝篇』》

母権制社会を生きる男性たちにとって「生け贄死」はもっとも身近な死因であり、誰もみな、これを回避しようと必死で鍬を振るいました。青銅器時代に記録された粘土板やパピルス文書に顕れる「王を迎える以前」の日常に、労働の喜びや人生を謳歌する心の余裕は見られません。シュメール(前三○○○年頃)やバビロニア(古バビロニアは前二○○○年頃、新バビロニアは前六二五~前五三九頃)や古代ギリシアの農夫たちは「神々の代わりに働くことが人間の使命で、それ以外、自分に存在価値はない」と諦観していました。


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ことごとくわきまえ
神々に対して落ち度なく
鳥の前兆を見落とさず
神と人との道を踏み間違えず
仕事に励む者こそ
神とゝもにある幸せ者。


【ギリシアの歴史】神々の代わりに働く喜び
ヘシオドス『仕事と日々』
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2019年4月21日日曜日

ガリアのウィッカーマン_「神話と占い」(その41)_






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古代の生け贄社会
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古代の母権性社会においては、女神の化身である高位の巫女が社会の規範を占いでもって決めました。そうしてそうした禁忌(タブー)に「〝従わない〟自由」は、先史時代を生きる人々にはありませんでした。

巫女を通じ神から下された禁忌(タブー)を踏むのは「神への反逆」であり、罪を犯せば「生け贄の順番を待つ列」に連なるだけです。太古の社会は生け贄を大量に必要としたため、身分の如何(いかん)を問わず、ほんの少しの過ちで人は死刑囚になるのです。



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人身御供はガリアの公的な行事として認められている。ある部族は枝編細工で非常に大きな人形(ウィッカーマン)をこしらえ、その手足、胴に生きた人間をいっぱい詰めて火をつける。泥棒や強盗や、その他の罪をおかした者を殺せば、不滅の神々がいっそう喜ぶと信じられているからだ。こうした罪人の数が足りないときは、代わりに無実の人も犠牲にして殺してしまうほどだ。


【ガリアの記録】ガリアにおけるウィッカーマン
カエサル『ガリア戦記』第六巻第十六節
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