2018年10月27日土曜日

はじめて覚えた名前




子どもの頃、事情があって児童養護施設にいました。
すごく幼い時期にいたので、わたしに言葉を教えてくれたのはシスターです。

わたしは感情を表に出すことができない子で、自閉症児と疑われていました。小学校に上がるまで、結局三回検診で自閉症児と言われたのに、学童になるとそれらしい気配すらなく、今では「あれは誤診だった」と言われてます。

家系的なものなのかも知れませんが、父方の従兄弟で同じように医療機関で自閉症と言われて養護学級へ行き、高校卒業時にまったく正常だったと判明した人がいます。とても珍しい症例だそうです。

自分の経験だけで言うと、わたしはその頃、単純に言葉が理解できませんでした。言葉がわからないので他人の感情を読むことができず、不安のため、押し黙っていたのです。

出エジプト記 海に出来た道
修道院同士の交流と聞いた覚えがありますが、あるとき、わたしのいた修道院のミサで、普段は見ることのできない偉い神父さまがお話をなさいました。それも毎週、1ヶ月ほど続けて来訪され、児童養護施設の子どもたちに直接イエスさまのお話を聞かせてくださったのです。

わたしはまだとても小さく、自分がどうして児童養護施設にいるのか本当には理解していませんでした。父と母がどこへ行ったのか、自分はどうして家に帰ることができないのか、シスターに聞きたいことはたくさんあったのですが、言葉がわからないので我慢していました。

そんなことですので、偉い神父さまのお説教は、わたしにはさっぱりわかりませんでした。女子修道院に併設された児童養護施設のため、大人の男性を見ること自体が珍しく、ほかの子どもたちも、みんなただ、施設の中を歩き回る男性にびっくりして怖がっていました。お話を聞くなんて状態では、ありません。

出エジプト記 十戒
神父さまはシスターたちと相談なさり、お説教にまったく興味を示さない児童養護施設の子どもたちのため、子どもも理解しやすいモーセの「出エジプト記」を、2週目から取り上げてくださいました。そして3周目、わたしはふと、繰り返し出てくる「モーゼ」という音が気になりました。

そこでミサのあと、わたしたちのお世話をしてくれていたシスターのスカートを引っ張り、「モーゼって、なあに」と、聞いたのです。

するとシスターは大喜びで、たくさん話してくださいました。
でもその説明は、やはり、まったくわかりません。

それでも、どうしても言葉の秘密を知りたかったわたしは「モーゼって、なあに」と、執拗に同じ質問を繰り返したのです。シスターはやがてハッとしたように目を開き、「男の人の名前よ!」と、言いました。

「名前って、なあに?」
「花とか、木とか、水とか、知っているでしょう? それは同じもの全部を指す言葉なのよ、でも、たったひとりだけを指す言葉があるの。それを名前というのよ
「じゃ、モーゼはそれなの?」
「そうよ。花や木にはないけれど、人間には、ひとりひとり違う名前があるの
「わたしにもあるの? わたしは、なあに?」
「あなたは□□□ちゃんと言うのよ」
「ママにも、あるの?」
「□□□ちゃんのお母さまは、△△△さんという方よ」
「パパは?」
「ごめんね、お父さまのお名前は覚えていないの。あとで調べて教えてあげるね」

出エジプト記 燃える木立

わたしはだいぶ長いあいだ黙り込みました。
そういうことであれば、どうしても知りたいことがあったのです。
シスターはそんなわたしに何かを感じ、粘り強く膝をついたまま待っていてくれました。
「あのね、、、あの、、、あの、、、」
「なあに? なんでも聞いていいのよ?」
「じゃ、イエズスっていうのは、、、、」
「そうよ! お名前よ!」
イエズスは、それなの
「イエズスさま、という方が良いのよ。でも、そうよ、お名前よ。ごめんね、今まで何のことかわからなかったのね。イエズスさまは、とても偉い方のお名前よ」
じゃ、イエズスさまは、人なの
いいえ! イエズスさまは神さまです!
「えーっと、、、、、困惑
(以下、わたしとシスターの珍問答がつづきます)


人に固有の名前があることを、そのときまで、わたしは知りませんでした。固有名詞というものを理解したあと、わたしは急速に言葉を覚え、次の週(最後の週)の神父さまのお話はほんの少しだけ、理解することができました。

わたしに言葉を教えてくれたのは神父さまと、シスターです。
わたしが最初に覚えた名前は、「イエズスさま」と「モーゼ」でした。

ちょっと自慢です。うふ。





2018年10月25日木曜日

赦しと許し



「赦(ゆる)す」ことと「許す」ことは違うという、意見があります。
「赦(ゆる)す」は forgive であり、「許す」は permit だと。

イエスの言葉「赦しなさい」の意味は、罪を犯した人が悔悟すれば放免しなさい、という意味であって、犯した罪自体を許したり許容しろという意味ではない、という意見です。


※バルバロ神父と新共同訳を併記する理由はこちらから
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◆マタイによる福音書(マテオによる福音書)
◆6-14~15.施しをするときには
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あなたたちが他人の過失をゆるすなら、
天の父もあなたたちをゆるされる。
だが他人をゆるさなければ
天の父も
あなたたちの過失をゆるしてはくださらぬ。

フェデリコ・バルバロ『新約聖書』
※ラテン語聖書から日本語への直接の訳
講談社 1975年5月27日 第1版
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もし人の過ちを赦すなら、
あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
しかし、もし人を赦さないなら、
あなたがたの父も
あなたがたの過ちをお赦しにならない

新共同訳『聖書(旧約聖書続編つき)
日本聖書協会1999年
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故グレース・ホッパー女子(Grace Murray Hopper, 1906-1992)は、
インターネット開発史にかんして
 It is easier to ask forgiveness than permission.
と、いうようなことをおっしゃいました。
許可を求めるより、謝罪する方が簡単じゃない、と。


開発言語COBOL(コボル)開発者であった同女子は、
まったく新しい分野を開拓するときのこころがまえとして、
そのような意識と覚悟が必要だと、おっしゃったのでしょう。
rose

いま、わたしが言う forgive と permit は、この故グレース女子の名言とはまったく別の、『聖書』の中の話です。

それにしても、開発技術者が仕事に取り組む姿勢として forgive と permit を語るのは良いとして、自他ともにキリスト者を標榜する側がイエスの言葉としての赦(ゆる)しと許しの違いを熱心に説(と)くのは、やはり少しばかり違和感があります。

言ってみれば、許容範囲の議論に巻き込まれた感じ、というのでしょうか。
この議論をする人たちは、どこまで許すべきか許せるか規定して、
それを他のキリスト者やそうでない人々と、共有しようというのでしょうか。

フェデリコ・バルバロ神父は、ただ「ゆるす」とだけ訳しました。
わたしには forgive も permit も関係ないです。

そうです。
わたしにとってバルバロ神父の書いた「ゆるし」は、愛と同義語です。
愛そうとしているのに、言葉遊びや許容範囲は必要ないです。そうでしょう?



自分の家族を
わたしはただ、際限なしに、ゆる(愛)したかった。
でも、しくじってしまったみたいです。<





2018年10月19日金曜日

許すということは、容易なことではありません



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ヤヌシュ・コルチャック(トレブリンカ強制収容所にてガス死)
◇  1919年、ユダヤ孤児の卒業生へ送る言葉(近藤康子『コルチャック先生』より)
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私たちは君たちに、人間の愛というものを与えることはできません。
人間の愛は、寛大さなくしてはありえません。
許すということは、容易なことではありません。
君たちは、自分自身で、寛大であるよう努(つと)めなければならないのです。
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わたしの母はむずかしい人で、他人にはとても親切なのに、自分の子ども達には意地悪でした(まだ生きてますうっ!)

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学費を払わない→土下座してお願いするまで払わない
給食費を払わない→土下座してお願いするまで払わない
制服を買ってくれない→なぜか、担任教師が頭を下げてお願いするまで買わない
林間学校や修学旅行には行かせない→わたしが行きたがらないと担任教師に言う
無視して学校の行事旅行に行くと、
 →旅行先に毎回「救急車で運ばれたので帰るよう伝えて」という、電話が入る
 →ちなみに東京から熱海へ出かけていても「タクシーで連れ帰れ」と、学校に命じる
 →ちなみに東京から那須へ出かけていても「タクシーで連れ帰れ」と、学校に命じる
 →ちなみに東京から京都へ出かけていても「タクシーで連れ帰れ」と、学校に命じる
 →ちなみに、ちなみに、、、、以下略

破産した中年夫婦をどこからか拾ってきては、
期限なしに狭いアパートで同居させ、
働きもせず手伝いもしないその夫婦ものの食事の世話を、
小学生~高校生だったわたしにさせる。

自分の幼馴染だという見ず知らずの離婚した女性のために、
年末、おせち料理を作って届けるよう強制する。
ちなみに食材費は全部、高校生だったわたしのアルバイト代から出させる。
高校1年生のときは追加アルバイトで切り抜けたものの、
高校2年生になると届ける先が増えた。
(弟のお友達1軒、母のお友達2軒、合計3軒プラス自分のうち)

もちろん、中学生にもなるとわたしも少し自己主張するようになり、
高校2年生、同3年生では、さすがに暴れて拒否。事態は悪くなるいっぽう。。。
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上記のようなことは、ごくごく一部です。
あるとき、わたしは意を決し、どうしてなのか母に尋ねました。
「どうしてわたしに意地悪するの?」
「なんで必ず、わたしが困るとわかっていることを選んで要求するの?」

母の答えは、
「子どもは、親をうやまうものでしょう?」
「うやまってもらわないと、わたしの存在価値がないじゃない」

このとき、わたしは初めて、少しばかり覚醒したのです。
このひとは、頭がおかしいのだと。

わたしがいやいや従うのを見ることが、
わたしの母のアイデンティティーだったわけ。

でも、わたしは既に三十路(みそぢ)を超えていました。にもかかわらずそれまで、自分の母親の精神が破綻していることに、少しも気づいてなかったのです。

児童相談所に保護され、養護施設に入れられても
(数年後、母の希望で帰宅)

校医の先生が
「この子どもの怪我はおかしい、怪我していないところがない!」と怒り出し、
母を呼び出し児童相談所へ通報、再度保護となっても

高校の先生方が母を呼び出し、
わたしへの虐待をやめるよう勧告し、
母と揉め高校を退学させられそうになっても

わたしは母の頭がおかしいとまで、思っていませんでした。

わたしが不注意だから怪我するのだと、
うちが貧乏だから、
母は体が弱いから、
わたしの世話はせず、
わたしが世話をしなければいけないのだと、
かたく信じていました。


ヨアヒム・パティニール「ステュクス川を渡るカロン」
人間のこころは本当に不思議です。
わたしは母を、今でもあまり恨んでいないのです。

でも、弟が死んだあと、わたしはあることに気づきました。
わたしは、二人いたのです。

母を憎む冷静で冷たい性格のわたしと、母を憎んでいない、おとなしい性格のわたし。

そうしておもて側の性格である、おとなしい性格のわたしの、本来ならば母へ向けられるべき憎しみの感情は、母ではなく母の背中に隠れてわたしを酷使する、わがままな弟へ向けられていたのです。

自分の精神が少しばかり分裂しているらしいことに、わたしはごく最近まで、まったく気がついていませんでした。

ゆるしている、つもりでした。
でも、それはわたしの一面であって、ゆるしていない「わたし」が別にもうひとりいたのです。

わたしも王女メディアと何も変わらない。
自分を守るためだけに、弟をひとりぽっちで死なせてしまいました。





2018年10月7日日曜日

魔女イメージの原型



魔女イメージの原型としては、
ロドスのアポローニオス
『アルゴー船の冒険(アルゴナウティカ)』王女メディアや
ホメーロス『オデュッセイア』魔女キルケー、
エウリピデス『ディオニュソスの信女(バッケー)』などに登場する、
ディオニュソス神の信者であるバッケーたちが知られます。


王女メディアは惚れた男イアソンを逃がすため弟を殺し、イアソンが浮気をすると産んだ子どもを殺し、妻がいると知っていながらイアソンに結婚を申し込んだ、恋がたきを殺します。

魔女キルケーは好きな男を魔法でとりこにしてから、飽きたら家畜に変身させます。

メディアとキルケーのような「悪」い女にくらべ、ディオニュソスの信者バッケーたちは葡萄酒でハイになって人を殺すことはあっても、何かを恨んでいたり復讐しようとする「悪心」を抱えているわけではありません。ただ毛皮を着て山に棲み、月夜の晩に走り回るだけです。そうして大きな岩をひとまたぎで飛び越え、月を背景に夜の空に浮かび上がると書かれています。

月を背景に飛翔する魔女イメージの原型は、バッケーです。
魔女の箒(ほうき)も、バッケーが持っていたテュルソスという、木蔦(きづた)を巻いた霊杖がもとだと言われます。





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