2018年9月30日日曜日

王女メディアの弟ごろし



ウォーターハウス「嫉妬に燃えるキルケー」

姉が弟を憎む物語は、
古典にはあまり見当たらないと言いながら、
前回・前々回ではアマテラスとスサノオの
姉弟喧嘩についてとりあげました。

そうしてまた、
「王女メディアの弟ごろし」を紹介します。

姉が弟を憎む物語、けっこうあるじゃん、と、
揶揄しないでください。

なぜなら、ギリシア神話の王女メディアの
弟ごろしは奇異なエピソードのひとつで、
姉メディアは、少しも弟を憎んでいないからです。


アマテラスのように、弟の傲慢と態度の増長に
悩まされているわけでもありません。

ディオニュソス神のとりまき「バッケー」たちや、
ホメーロス「オデュッセイアー」に登場する「キルケー」同様、
魔女イメージの原型のひとりと言われる王女メディアは
ただただ、好きな男と逃げるだけのため、
惚れた男を逃がすためだけに、
わけもわからず協力してくれた弟を殺して切り刻み、
追っ手の足を止めさせるべく遺体を海へ投げ込むのです。

何というか、そのキレッキレの悪っぷりが印象的なエピソードです。


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◆ロドスのアポローニオス
◇  金羊毛皮、アルゴーナウティカ(アルゴー船の冒険)
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父王を亡くし賢者ケイロンの洞窟で養育された王子イアーソーンは、
おとなになると王位を回復するため、空位を守っていた叔父ぺリアース
のもとへでかけた。

ぺリアースは王座を明け渡したくなかったので、王位と引き換えに
遠い黒海の果ての国コルキスにあるという、黄金の羊の毛皮を要求した。

イアーソーンは巨大な船「アルゴー船」を建造させると、ケイロンの洞窟
でともに育った友人たち、
ヘラクレスや、
のちアキレウスの父となるペレウス、
楽士オルペウスなどをともない冒険へ旅立った。

コルキスへ着くとコルキス王アイエーテースは、イアーソーンたちに多く
の試練を与え追い返そうとした。

しかしアイエーテースとオーケアノスの娘エイデュイアのあいだに生まれ、
母譲りの魔法の智恵を持っていた王女メーディアはイアーソーンに
ひとめ惚れしてイアーソーンを助け、アイエーテースが竜に見張らせてい
た家宝「金羊毛皮」も、魔力をもちいてイアーソーンに与えてしまう。

イアーソーンはメーディアを連れて帰国することまで考えていなかったが、
イアーソーンを追って船に乗ったメーディアは父王の追っ手の船団を足踏
みさせるため、連れていた弟アプシュルトスを殺して切り刻んで、
その遺体を海にまき散らした。

そうしてアイエーテースの船団が王子の亡骸を拾い集めているすきに、
まんまとコルキスを脱出した。
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ギリシア神話でコルキスと呼ばれているのは、
現在のグルジアのあたりです。





2018年9月27日木曜日

アマテラスとスサノオの骨肉の争い


天照大御神(あまてらすおおみかみ)


姉と弟の憎しみあいの、つづきです。

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◆「古事記」
◇  誓約(うけい)、天の岩屋戸(あまのいわやと)
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統治委任された海を放置したせいで父神の怒りをかい、
地上世界を追放されたスサノオが、
母神の眠る根の堅州国(ねのかたすくに)へ退く挨拶のため
姉神アマテラスの治める天上界へ昇って行ったとき、
国土が震え、
そのせいでアマテラスはスサノオが邪心を隠していると疑った。

そこでアマテラスは武装してスサノオを迎え、
弁明するスサノオに、卜占(ぼくせん)裁判による
身の証(あかし)を求めるのだ。

「誓約(うけい=卜占裁判)」では誓願しながら次々と神産みし、
生まれてきた神々の性質で
その親である請願者に、邪心があるかないかを判断するというものだ。

この卜占裁判で、スサノオは優しい女神たちを産み、
自分の心にやましいところはないことを証(あかし)した。

しかし邪心がないと認められた途端にスサノオは荒ぶり、
田んぼの用水路を埋めてしまったり、
神殿に汚物を撒き散らしたり、
機織女(はたおりめ)を犯して殺したりしたので、
アマテラスは怒りに震え
天の岩屋戸(あまのいわやと)へ、こもってしまう。

太陽を失った地上は暗闇になり、ありとあらゆる災(わざわ)いが生じたため、
神々は計略をもちいてアマテラスを岩屋戸から誘い出し、
地上の光を無事に取り戻したあと、
スサノオの髭(ひげ)を剃り手足の爪を切って力を奪い、
あらためて根の堅州国(ねのかたすくに)へと追放した。
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根の堅州国(ねのかたすくに)というのは
冥界の入り口である地上の国で、
出雲(いずも)にあると言われた永遠世界です。

神話はまだまだ続きますが、
高天原(たかまがはら)ではスサノオは神力を奪われ、
いったん死んだことが暗示されています。

(つづく)





2018年9月22日土曜日

さぁ、地獄の釜の蓋を開けよう



ウィリアム・アドルフ・ブグロー「カインとアベル」

今年の初めに、弟が死にました。
あっという間に9ヶ月経ちましたが、
まだ、立ち直れません。

立ち直る予定もありません。

弟はもうこの世にないのだということを、
受け止めて生きてゆくしかありません。

もとからそんなに、仲良くはない姉弟でした。
人生の大部分の時間を共有しましたが、
一緒に暮らせたのは、合計でも12年に満たないほど。

小さな頃はもちろん、
大人になってからはいっそう
わがままで浪費家で、
一方的に、
わたしから奪ってゆくばかりの弟でした。

この数年は
お互い激しく、憎しみをつのらせました。

弟は今まで以上に多くのものを要求し、
もう若くはないわたしには、
愛情も含め
あけ渡すものなど、
何ひとつ残っていないことを、
最後まで理解しようとしませんでした。

念のためですが、
犯罪者ではありません。
奪うのは姉のわたしからだけです。
姉が自分の味方だと信じて疑わず、
全身全霊で甘え、妄想の世界を執念で生き抜きました。

兄弟が憎みあい殺しあう物語と言えば、
古典好きなら、
まずはカインとアベルを思い浮かべるところでしょうか。
きっとそのあと、ヤマトタケルでしょうね。

男同士の兄弟ならば、
憎みあっても仕方ないということなのか。

いっぽう、姉と弟が憎みあう物語は
名作古典や聖典に、そう多く存在しません。
姉は母代わりに弟を愛すべきだという既成概念が、
その原因であるように思います。

ギリシア悲劇や神話作品の原本の多くが没落したイタリア貴族
の遺産や蔵から発見されたように、
名作古典や聖典が後世に伝わるかどうかは
それが書かれた当時の為政者(いせいしゃ)の好みに左右されます。

姉が弟を殺す物語は、古代人の好みではなかったのでしょう。

でも、すべての姉がエレクトラではないのです。
弟を守るために、人生を捧げる姉ばかりではありません。

と、ここまで書いたところで気がつきました。

考えてみれば我が国には
「誓約(うけい=卜占裁判)」という、
アマテラスとスサノオの、ものすごいのがありましたね。

(つづく)





2018年9月8日土曜日

新共同訳より、ラテン語そのままの聖書の方がすきな件。(≧∇≦)



ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」

■■ まえおき
念のためですが、
自分はクリスチャンではありません。
でも、事情があってキリスト教文化が自分の原風景です。


 http://p.booklog.jp/book/122700
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『神話と占いの世紀 第30巻』をご参照くださると嬉しいです。
(無料本で、しかも20ページちょっとという脅威の短さ!)
http://p.booklog.jp/book/122700
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■■ 本題
ラテン語から直接訳された聖書の方が、美しいと感じます。
日本独自の新共同訳は、その崇高な歴史的意義は認めます。
でも、どうも美しいと感じられないのです。

「コーランが美しすぎてイスラム教にはまった」という
ムスリムの話に触れるたび、
日本の新共同訳を想い、少し淋しく感じます。


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◆聖パウロ「ヘブライ人への手紙」
◆11.信仰
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信仰によってノアはまだ見ぬことについてのお告げを受け、
家族を救うため謹んで方舟を造り、
罪を定め、
信仰による正義の世継ぎとなった。

信仰によってアブラハムは
「遺産として受けるであろう約束の地へ行け」と召命され、
その方角も知らず旅立った。

これらの人々は皆、信仰を保って死んだ。

約束のもの(栄光)を彼らは受けとらなかったが、
(生前は)遙か遠くにそれ(死後の栄光)を見て挨拶し、
この世では、
自分はしょせん他国人であり
旅人にすぎぬことを理解していた。

フェデリコ・バルバロ『新約聖書』
※ラテン語聖書からの訳(カッコ内は筆者による補筆)
講談社 1975年5月27日 第1版
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信仰によって、
ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、
恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、
その信仰によって世界に罪を定め、
また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。

信仰によって、
アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に
出て行くように召し出されると、
これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。

この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。
約束されたものを手に入れませんでしたが、
はるかにそれを見て喜びの声をあげ、
自分たちが地上ではよそ者であり、
仮住まいの者であることを公(おおやけ)
言い表したのです。

新共同訳『聖書(旧約聖書続編つき)
日本聖書協会1999年
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2018年9月6日木曜日

ギリシア神話、本当は好きじゃないんだよね。



ダヴィッド「ソクラテスの死」

趣味でギリシア神話のダイジェスト版など書き、電子書籍を出してます。
でも、実はギリシア神話はそれほど好きではないんですね。

ギリシア文学にはまったのは、小学生の頃『プラトン著作集』を読んだからです。

ちょっと複雑ですね。

●家族や友人には「ギリシア神話」が好きだと思われている。
---でも、全然好きじゃない。
---全知全能の神が白鳥に化けて少女をレイプするような神話だし。

●「本当に好きなのはプラトン」だと、訴えてみる。
---でも、本当はプラトンは自分の意見を書いているわけではない。
---プラトンが書いたのは師匠「ソクラテス」が言ったこと。

●「本当はソクラテスが好き」と、言ってみる。
---でも、共感できるのは「ソクラテスの弁明」のみ。男色とか、わからんよ。

悲しい。。。





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