2018年9月8日土曜日

新共同訳より、ラテン語そのままの聖書の方がすきな件。(≧∇≦)



ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」

■■ まえおき
念のためですが、
自分はクリスチャンではありません。
でも、事情があってキリスト教文化が自分の原風景です。


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『神話と占いの世紀 第30巻』をご参照くださると嬉しいです。
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■■ 本題
ラテン語から直接訳された聖書の方が、美しいと感じます。
日本独自の新共同訳は、その崇高な歴史的意義は認めます。
でも、どうも美しいと感じられないのです。

「コーランが美しすぎてイスラム教にはまった」という
ムスリムの話に触れるたび、
日本の新共同訳を想い、少し淋しく感じます。


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◆聖パウロ「ヘブライ人への手紙」
◆11.信仰
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信仰によってノアはまだ見ぬことについてのお告げを受け、
家族を救うため謹んで方舟を造り、
罪を定め、
信仰による正義の世継ぎとなった。

信仰によってアブラハムは
「遺産として受けるであろう約束の地へ行け」と召命され、
その方角も知らず旅立った。

これらの人々は皆、信仰を保って死んだ。

約束のもの(栄光)を彼らは受けとらなかったが、
(生前は)遙か遠くにそれ(死後の栄光)を見て挨拶し、
この世では、
自分はしょせん他国人であり
旅人にすぎぬことを理解していた。

フェデリコ・バルバロ『新約聖書』
※ラテン語聖書からの訳(カッコ内は筆者による補筆)
講談社 1975年5月27日 第1版
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信仰によって、
ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、
恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、
その信仰によって世界に罪を定め、
また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。

信仰によって、
アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に
出て行くように召し出されると、
これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。

この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。
約束されたものを手に入れませんでしたが、
はるかにそれを見て喜びの声をあげ、
自分たちが地上ではよそ者であり、
仮住まいの者であることを公(おおやけ)
言い表したのです。

新共同訳『聖書(旧約聖書続編つき)
日本聖書協会1999年
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