2019年3月31日日曜日

ローマ建国神話、アイネイアースの金枝_「神話と占い」(その20)_







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アイネイアースの金枝
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焼け落ちるトロイアから脱出したトロイア王子アイネイアースの一行は、漂白の末、イタリアのクマエの港に上陸した。

さっそくアイネイアースは、亡き父・アンキセス公の霊に言われたとおり岩山の洞窟にいた太陽神アポロンの巫女シビュレーに会うと、冥府詣への力添えを依頼する。シビュレーは「普通の人は生きたまま冥界へは行けない。行くことができても、生きて帰ることはできない」と言いながら、「もしも黄金の大木を見つけ出すことができて、その小枝を手折ることができたら、冥界の女神プロセルピナ(女神デメテルの娘、ギリシア名ペルセポネ)もお許しになるだろう」と付け足した。やがてプロセルピナに捧げられた森で黄金の大木を見つけたアイネイアースは、巨木の上に巻き付いた金色に輝く小枝を折り取り、それを手にして冥府へ降りる。

冥府へ行くとアイネイアースは戦死したトロイア勇者たちに再会して涙を流して慰め合い、父に会うと自分のために準備された栄光の未来と、それを手に入れるため耐えねばならない試練について説明を受け、避けることのできないつらい運命に立ち向かう心構えを、懇々と諭された。

生還したアイネイアースはトロイア人を率いてティベル河から再上陸、そこを定住地とすべく先住ラティウム族との死闘を耐え抜き、ティベル河畔ラウィニウム(ローマ)を勝ち取った。


【ローマ建国神話】漂白するトロイア王子アイネイアース
ウェルギリウス『アイネイアース』
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〝ローマ建国の祖〟アイネイアースの冥府探訪はサー・ジェイムズ・ジョージ・フレイザー《一八五四~一九四一。民俗学、宗教学に影響を与えた人類学者、『金枝篇』》が『金枝篇』でとり上げたエピソードで、たいへん有名なものです。フレイザーの意見をざっと要約すれば、


(1)
「黄金の大木」はインド・ヨーロッパ語族民が共通して信仰したオーク(樫)の木である。

(2)
しかもこの説話で語られるのはヤドリギが寄生して金色に見える特殊なオークである。インド・ヨーロッパ語族民はオークに寄生したヤドリギを特別に崇拝し家の中に飾っておくことがあるが、切り取って数ヶ月経ったヤドリギは全体が白っぽい黄色に変わり「黄金」に近い色になる。

(3)
寄生木であるヤドリギは根があるようには見えず、一見宙に浮いているように見える。宙に浮いているのは古代においては重大なモチーフで、それは「霊魂の在処」そのものである。


(4)
故に、アイネイアースが手折って冥府へ伴ったのは神木オークの霊魂である。オークの霊力に守られたせいで、アイネイアースは冥府から生きて帰れた。

(5)
この物語は(ラテン、ケルト、ゲルマンなどの)初期の王たちが、どのように選ばれたかを伝えている。

と、いうことになります。


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フレイザーによれば、古代(青銅器時代~歴史時代の黎明期)において王位に就くということは森の女神と婚姻を結ぶことを指し、次なる王位継承権を主張するには女神に捧げられた聖木のヤドリギを折り取って、現在王位にある相手へ投げつける必要があったのだそうです。ヤドリギの小枝を投げつけられた側は嫌でもこの挑戦を受けねばならず、勝てばもう一年玉座を守り、負ければ「僭主(王たる資格がない不正な王)」として断罪されて、女神の生け贄として死ぬ運命でした(戦いに敗れた挑戦者も同様の死を迎える)。こうして古代の共同体は強い王、偉大な王を維持し続け、暮らしの安寧を守ったのです。このように継承される権威のない王を、文化人類学では「聖王」と呼びます。

また、この「王位継承権を明示する小枝」が、前述した王笏の原型です。それが小枝であるのは、「宙に浮いて見える」ところに生い茂った、〝中空〟の枝でなければいけないからです。ただし、天空神・至高神のシンボルであった「稲妻(「男根」の寓意)」が王笏(おうじゃく)になったという、フレイザーとは異なる説も存在します《稲妻(男根)=蛇がヘルメス杖の起源という説。ジョーセフ・キャンベル『神の仮面』など》

フレイザーの見解は、文化人類学的・民俗学的に非常に重要なものです。しかしながら、「大嘗祭(おおなめさい、天皇即位式)における稲穂の役割や正月の松飾りが連想されるものの、インド・ヨーロッパ語族に属さない身としては神木オークや、クリスマス飾りのヤドリギ起源に特筆すべきものを感じません。気になるのはオーク(樫)やヤドリギではなく、黄泉の国から帰ったあとのアイネイアースの大活躍です。






2019年3月30日土曜日

ローマ建国神話、漂白のアイネイアース_「神話と占い」(その19)_







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漂白のアイネイアース
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木馬の奸計によって焼け落ちるイリオン(トロイアの王城があった市)から逃げ出したトロイア王子アイネイアースは、生き残った市民たちを引き連れ航海を続けるが、トロイア(現在のトルコ)を滅ぼした女神ユノー(ギリシア名ヘラ)の呪いが解けず思うように移住先が見つけられなかった。やがて守り神ペナテース(ローマ人の先祖霊を総称する神)より「約束の地はイタリア」と告げられ一向は一路イタリアへ舵をとる。ところが、その沿岸にはトロイアの敵方ギリシア人が先に移住していた。そのためアイネイアースたちは遠回りを余儀なくされる。


その後も女神の呪いのせいで散々な目に遭い、すぐ目の前にある約束の地に到達できない亡命者たちは、だんだん意気消沈しイタリア移住の意欲が薄れていった。

そんなとき、落ち着く先も決まらぬまま亡くなったアンキセス公(アイネイアースの父、女神ウェヌスとのあいだにアイネイアースをもうけた美男子)の亡霊が息子アイネイアースの前に現れ「諦めないでイタリアへ向かいなさい。そうして巫女シビュレーの力を借りて、冥界にいるわたしに会いに来なさい。トロイア人の未来について、わたしが詳しく説明しよう」と、告げる。意を決したアイネイアースは再び勇気を奮い起こしてイタリアへ出航、今度は首尾良くクマエ(イタリア)の港に辿り着いた。


【ローマ建国神話】漂白するトロイア王子アイネイアース
ウェルギリウス『アイネイアース』
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2019年3月29日金曜日

蘇らせる、エリシャの杖_「神話と占い」(その18)_







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(よみがえ)らせる異界の杖「エリシャの杖」
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預言者エリシャは無から物質(油)を取り出し、死人を生き返らせたエピソードがあることからイエス・キリストの原型と見なされている『旧約』預言者です。エリシャの杖は「預言者の杖」と呼ばれるものの代表で、「バッケーの霊杖(テュルスソス)」同様に多くの奇跡をもたらします。


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シュネムの貴婦人は信心深く親切で、家の階上に預言者エリシャのための一室を設け、近くへ来たとき自由に使わせていた。年寄りのエリシャは感激して婦人にお礼がしたいと思ったが「満ち足りた生活をさせてもらってますので」と、断られてしまった。そこで従者ゲハジに相談したところ、ゲハジは「夫が高齢で子どもに恵まれない夫婦ですよ」と話したので、エリシャは婦人を招び「来年の今頃、あなたは身籠もっている」と告げた。

本気にせず「はしためを欺かないでくださいませ」と一笑に付した婦人だが、翌年身籠もって男の子を産んだ。しかしその子は少し大きくになってから「頭が痛い」と言い、母親の膝の上で死んでしまった。婦人はエリシャの部屋の寝台にその子を横たえ、夫の静止も聞かず預言者のもとへ駆けつけた。

婦人はエリシャに会うと「お陰さまで何も変わりありません」と言いながらその足許に縋りつき、預言者の従者ゲハジが引き離そうとしても離れなかった。エリシャはことの次第を察し、ゲハジに自分の杖を預けて「帯を締め、わたしの杖を子どもの顔の上に置きなさい。途中、誰かに会って挨拶されても口をきかないように」と言いつけ、ひと足先に出発させた。

ゲハジは婦人の家へ入り、言われたとおり行ってから来た道をまた引き返して、こちらへ向かう途中のエリシャと婦人に報告した。エリシャは婦人の家へ入り、子どもと二人きりになって主に祈った。それから自分の口を子どもの口に、自分の目を子どもの目に、自分の手を子どもの手に重ねて子どもの身体を暖め、あちこち歩きまわってからもう一度その子の上へかがみ込んでみると、子どもは七回くしゃみをして生き返った。

【ユダヤ教】蘇らせる杖
『旧約聖書』列王記下四「エリシャの奇跡」
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エリシャはここで、①死者の顔へ杖を置く、②時間を置いてしばらく祈る、③自分の生命力(魂)を分け与える、の順番に子どもを復活させています。


この儀式は「死者の生命(魂)を生まれる前の世界へいったん戻し、新しく生まれる生命(魂)として再び受け取る」手順、つまり大昔の人が考えていた「蘇りのシステム」を表していると思われます。

なお、どういうわけか死んで蘇ると魂は目減りするらしく、人を復活させる預言者や眠り姫を目覚めさせる王子はキスをしたり唾をつけるなどして自分自身の霊魂(生命力)を相手に注ぎ込みます。もとの魂(生命力)が弱々しいため、そうしないと助けられた人はすぐまた死んでしまうのです。
 
子どもの顔の上へ載せるぐらいですから、この杖は細くて軽い小枝製でしょう。そして、宛先が黄泉の国なのか天界なのかわかりませんが、エリシャの杖は異界との間で子どもの魂を遣り取りするための、荷札か切符のように使われています。大国主神が退いた「根の堅州国」が底つ国(地下の国)なのか常世の国(永遠の国、楽園のこと)なのか『古事記』からは読みとれないように、黄泉の国と天界の区別は古代においてほとんどありません。






2019年3月28日木曜日

アッティスのお葬式と復活祭_「神話と占い」(その17)_






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(としがみ)の両性具有性
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歳神(としがみ)イアッコスやアッティスは十二月二十五日の「冬至の日」箕篭に入って顕現し(母親の胎を通過しない→処女出産)、三月二十二日か二十三日非業の死を遂げ、「春分の日」民衆の歓喜の声に包まれながら復活します。



「歳神(としがみ)」とは、つまるところ「花」の化身です。彼らは三月二十四日か二十五日に甦りますがそれは穀物の「実」としてのことで、母である穀物神に同化(合一)して復活するのであって、本人が帰ってくるわけではありません。母女神たちは、「花」が受精してくれないと「実」に変身できないのです。

また、ディオニュソス(=童神イアッコス、ただしディオニュソス神自身の生誕祭は一月六日)やアッティスがときにホモセクシュアル的・両性具有的に表現されるのは、雌雄同株が普通である植物の特性を表現したものと言われます《フレイザー『金枝篇』》




古代ギリシアで行われたアッティス(アテネ、アッティカの語源)の祭りでは、花のまま死んだ歳神(としがみ)を悼む「葬式」と、母女神に同化して復活したことを祝う「復活祭」とが連続で催され(ヒラリア祭)、特に「葬式」の方で十字架が用いられました。

葬式の翌日三月二十五日は、歳神が母神に同化する「受胎日」でもあります。前の歳神(としがみ)は「果実になって消滅」し、この日新しい歳神(としがみ)が母の身体に宿るのです。


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三月二十二日、祭司たちは聖森から松の大木を伐り出すと、アッティスの人形(十字架)とその血を表すスミレの花をあしらい、しずしず と市内を通過する。三月二十四日、洞窟の中の女神の祭壇では運び込んだ松の木と人形(十字架)へ炎が放たれ、祭司長が腕を傷付けて己が生き血を捧げるや、興奮した若い下級祭司たちは自分から次々と去勢し、切りとった男根をキュベレーの神像へ投げつけるのだ



【ローマの風習】アッティスの葬式
サー・ジェイムズ・ジョージ・フレーザー『金枝篇』

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古代のギリシア・ローマは火葬文化ですから、これは弔(とむら)いの炎です。死んだアッティスを煙に変えて天上界へ送り、一過性の「歳神=人間神」を、不滅の神々のあいだに列席させようというのでしょう。古代人は役目を終えた旧(ふる)い歳神(としがみ)を昇天・消滅させることで、新しい歳神(としがみ)を招来(しょうらい)し、季節の巡りを促進できると信じていたのです。






2019年3月27日水曜日

オルペウス教の入信儀式(イニシエーション)_「神話と占い」(その16)_







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オルペウス教の入信儀式
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初期教会では「十字架」を「イエス・キリストが信者の魂を救済すべく地獄へ降り、また昇天するときに随行する〝生きた実在〟《新約外典『ペトロ福音書』『シビュラの託宣』より、『キリスト教史1 初代教会』》」と考えますが、これはオルペウス教「柳の杖(芽吹いた小枝で作った人形)」とまったく同じ教えです。

秘儀・密儀だったためすべて推測にすぎませんが、パピルスや古代人の墓から出土した金板に記された記述に鑑みるに、オルペウス教の入信儀式「冥府降り(めいふくだり)」では、死んだ妻エウリュディケを救うべく、「柳の杖=小枝で作った十字架杖」を頼りに冥界へ降った、オルペウスの伝説を模倣したようです。



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(1)
小枝の十字架(人形=ひとがた)を持って洞窟へ入る。

(2)
冥界女神ペルセポネ役の巫女に「大地(ゲー)と天空(ウラヌス)の息子」と自己紹介することで「魂の覚醒」と「因果との決別」を宣言する。ちなみに、ゲーとウラヌスの子というのは、ディオニュソス神を寓意するらしい。

(3)
冥界の沼「記憶の水(ムネモシュネ)」を模した泉の水を呑んで魂を浄化する。「忘却の水(レテ)」ではなく「記憶の水(ムネモシュネ)」を飲むのは、永遠の園(エリュシオン)へ行くための準備である。

(4)
巨人の質(肉体)を弔う意味で十字架に火がかけられ、全信者強制参加の狂乱の舞踊(狂宴=オルギア)に呑み込まれる。


【オルペウス教を記した金板】オルペウスの入信儀式(イニシエーション)
「ソクラテス以前哲学者断片集 第I分冊」第一章 オルペウス
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「ディケ」はギリシア世界で「運命・宿業」を表す女神です。そこからオルペウスの「死んだ妻」というのが、死んだも同然である「魂」の寓意とわかります。つまり開祖オルペウスは妻を救いに行くと見せかけ、その実「みずからの宿業(原罪)を冥府の泉水で雪(すす)ぎ浄(きよ)めに行った」わけです。


「火と水」を用いて「魂の浄化」をする思想は、「死と再生」を促すためエジプト・メソポタミアの女神神殿で行われていた、古い祭儀に起源があります。オルペウス教もこれに倣(なら)い、火と水による「原罪の浄化」と、禁欲と狂乱を繰り返すことによる「肉体解脱」の二方向から、「因果応報からの完全離脱=自己の永遠化」を試みていたと思われます。






2019年3月26日火曜日

ミトラ教の入信儀式(イニシエーション)_「神話と占い」(その15)_






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ミトラ教の入信儀式
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前の記事では、ゾロアスター教一員としてのミトラ神への、牧歌的な賛歌を紹介しました。

しかしローマ帝国支配下のアジア地域で爆発的な人気を誇ったゾロアスター教分派ミトラ教には正典がなく、実質秘密結社に過ぎなかったゝめ、その実体は現存する洞窟内神殿のレリーフから解読するしかありません。そこで行われていたイニシエーションは、おおよそ次のように類推されます《ジョン・R・ヒネルズ『ペルシア神話』、井本英一訳》

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(1)
ミトラ教の考えでは、人間の魂は生まれるときに天界から堕ちて人間の体に入り込む。そして堕ちて生まれた魂は天界へ自ら帰還する必要がある。祭儀の目的は、段階を経ながら魂を上昇させることにある(鳥→花嫁→兵士→獅子→ペルシア人→太陽の使者→父)。だから入信儀式は地下の洞窟で行われる。

(2)
入信者は式に参加するにあたり、地図であり暦でもある星座の図象(牡牛座→海蛇座→子犬座→大犬座→獅子座→コップ座→乙女座→鳥座→蠍座)と、魂の上昇の道である太陽の軌道を記した書付を渡される。

(3)
それから裸になって拘束されたり開放されたりして魂を上昇させ、世界の浄化に貢献する。

(4)
位階を上級へ進めるためには問答の試験がある。

(5)
いかなる女性も入信できない。


【ローマの遺跡】ミトラ教の入信儀式(イニシエーション)
ジョン・R・ヒネルズ『ペルシア神話』

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ローマでは毎年冬至の日に特別な祭りが開催され、輝きを失った太陽を復活させるため歳神(としがみ)としてのミトラが招来(しょうらい)されました。松明(まつあかり)の炎の中ミトラは信者と祭司に初穂を振って迎えられ、生誕するや月の女神の使徒獣である雄牛を屠(ほふ)り、その生き血で太陽を復活させます。歳神ミトラは「ソル・インウィクトゥス=不滅の太陽」と讃(たた)えられました。

キリスト教よりもオルペウス教に似ているように感じるのは、わたしだけでしょうか。






2019年3月25日月曜日

ラバールムとミトラ教_「神話と占い」(その14)_






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父の中の父(Pater Patrum─ペトラパトルム─)
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キリスト教の象徴として史実に初めて登場する「十字架」はコンスタンティヌス帝の白昼夢に現われた「ラバルム《 X(キー)・P(ロー)ともいう。のちコンスタンティヌス軍の「旗印=〝大軍旗〟labarum」になった。ギボン『ローマ帝国衰亡史』》」ですが、XとPの組み合わせによるこの旗印は、どうも十字架に見えません。第一これは古代ギリシアの「額に聖油を塗られた者=クリストス」を意味するXと、「牧人の父」を表すPを重ねたモノグラムで、確かに「塗油された者=クリストス(christos)=印ある者」を寓意するものゝ、そのキリストが「イエス・キリスト」であった証拠は何処にもないのです。

古代ギリシアならばアイオーン、アッティス、ディオニュソス、オルペウス、オリオン、アドニスなどが塗油された者の代表格です。アフリカ、アラビア、パレスチナ(カナン)では義人エノク(生きたまま天に召され、光の天使メタトロンになったユダヤ人)こそが「印ある者」、当時のローマでキリストと言えば、イエスではなく、断然「〝父の中の父〟ミトラ」でしょう。ミトラの枕詞は「父の中の父=Pater Patrum(Father of Fathers)」なので、モノグラムはまさしくXPS(「塗油されし者、牧人の父と合一する」という意味)です。

XPS(キー・ロー・シグマ)

「ミトラのモノグラム」にとり憑かれた皇帝がキリスト教を公認し、ミトラ教に熱狂していたコンスタンティヌス軍がそれで納得した《ギボン『ローマ帝国衰亡史』》ということは、この時代(四世紀頃)までキリスト教とミトラ教が、同一宗教と見なされていた可能性を示します。実際、初期教会教父ユスティノス(一○○頃~一六五年、ギリシア教父)はミトラ教がキリスト教の〝パンと葡萄酒を聖別し主に祈りを捧げる〟「交わりの儀」を神話の中で模倣したと主張し、ミトラ教を批判します《『第一弁明』六六章「聖餐」》

当時教会で使っていた司教冠がマギ僧の三角帽に似ていたり、教皇が祭儀で被る宝冠のデザインがミトラ教の宝冠と同じだったり、モノグラムが一致していたなど、ミトラ教とキリスト教の宗教モチーフの類似もしくは一致が、初期教会教父たちの癇に障るほど多かったことは事実です。ところが一致しない部分もあるのです。

コンスタンティヌスがミトラ教徒ではなくキリスト教徒と呼ばれることを選んだのは、熱心なミトラ崇拝者として知られた暴君ネロ(在位五四~六八)やコンモドゥス帝(在位一八〇~一九二)と、一線を画すためだったと言われます。

XP(キー・ロー、ラバールム)

しかしミトラ教は信者間に位階を持つ宗教であり、非常に珍しい「戦士」の位が用意されています(鳥→花嫁→戦士→獅子→ペルシア人→太陽の使者→父)。そのせいかミトラ神は「兵士の神」とも、呼ばれます。だからこそ兵士たちは、ミトラを特に崇拝したのです。同様に、だからこそコンスタンティヌス帝は、軍隊の反乱を煽りかねないミトラ教を、国教に定めなかったと思われます。


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創造神アフラ・マズダーは聖霊アムシャ・スプンタを遣わし
ミトラのため、太陽のため、精魂を傾け霊的な家を建てさせた
高い峰々が聳(そび)え、
光り輝くハラー(大地に聳える山をハラーと言うらしい)の山の上
そこに夜はなく、闇もなく、穢れもない
ミトラは眠らない目、千の耳で、具象世界のすべてを睥睨する
そうして邪な悪漢が急いで通り過ぎようとするのを見てとると
飛んでいって掴みかかり奴の戦車に首縄を投げて足を止めさせ
隊列する兵らを打ち崩し、光を放って皆殺しにしてしまう

ミトラよ、広き牧地の主を我らは祭りあげる
来たり給え、アーリアの民に平和な家を与えてください
来たり給え、力を貸してください
来たり給え、お恵みをください
来たり給え、病気を治してください
来たり給え、勝利させてください
来たり給え、良い人生を送らせてください

【ゾロアスター教】太陽神ミトラの讃歌
『アヴェスター』「ミフル・ヤシェト」
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2019年3月24日日曜日

女神イシュタルの冥府下り_「神話と占い」(その13)_







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夫を殺して差し出す女神イシュタル
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豊穣女神イシュタルは決意した。イルカラの棲む闇の拠点、入口はあっても出口のない家、復路のない一本道、埃を呑み粘土のパンを食べ、鳥の羽を纏って暮らす死人たち、扉にボルトが埋まる闇の国へ、行ってみようじゃないの。


ここを開けなさい、門番。さもなくば閂をぶち壊し柱をへし折って扉を割ってしまうよ。死人たちを叩き起こして地上へ彷徨い出させ、生者を喰らわせ冥府を死人で溢れさせるよ」

「ご勘弁を、高貴なご婦人。ただいま女王に聞いて参ります」


イシュタルの姉、冥府女神エレシュ・キガル(別名アラトゥ)門番の知らせを聞いて蒼褪めた。「わたくしは味のない食べ物を食べ(メソポタミアでは服喪中は塩を戒める)、妻を亡くした夫の悲しみ、夫を亡くした妻の悲しみ、生まれることなく死んだ幼児の悲しみに寄り添っているのに、蔑(さげす)まれるのは腑に落ちない。よろしい、冥府の儀式で迎えておやり」

イシュタルはこうして冥府の七つの門で門番から装飾品と衣装とを剥ぎ取られて霊力を失い、女王の足許(あしもと)へ裸で横たわった。女王は伝令使ナムタルを呼び、イシュタルを幽閉し刑罰として六十の疾病を与えるよう言いつけた。「目には目の、わき腹にはわき腹の、足には足の、心臓には心臓の、頭には頭の、そうして全身の病をな」

しかし豊穣神がいなければ牛もロバも孕(はら)まない。男は町で女に声をかけなくなり、女は独り寝するようになった。そこで創造神エアが命を持たない美貌のアシュシュナミルを創り、冥府へ送りつけた。冥府の七つの門は叩き割らずともひとりでに開き、女王エレシュ・キガルはアシュシュナミルを寝所へ引き入れた。

そこでアシュシュナミルは、エアに言われたとおりの言葉を言う。
「愛する人よ、冥界神アヌンナキをこゝへ呼び出し、命の木の皮で作った水筒で、命の水を呑ませてくれるよう頼んでくれないか。ちょっと味をみてみたい」と。するとエレシュ・キガルは自らの太腿(ふともゝ)を打ち指を鳴らして叫ぶ「言ってはいけないことを言ってしまった!  美しい者よ、其方は冥府の溝の汚泥を食べ、日陰で暮らし、冥府の敷居を跨ぎ去ることは永遠にない!  」そうして伝令使ナムタルを呼び、イシュタルに命の水を吹きかけ放り出すよう伝えた。こうしてイシュタルは開放された。しかし冥界神アヌンナキがイシュタルの命の身代わりを要求したので、イシュタルは地上へ還ってから夫のタンムーズを水と聖油で浄(きよ)めて殺し、冥府へ送りつけた。


タンムーズの姉ベリリはイシュタルに両手いっぱいの宝石を投げつけ哀悼者を集めて泣き叫ぶ「わたくしのたったひとりの弟を奪う権利は貴女にはなかった。わたくしは男も女もタンムーズのため嘆いてくれる者を集める。そうしてラピスラズリの笛を吹き、瑪瑙の指輪を嵌めていたタンムーズを、地上に復活させてみせる!  」

【バビロニアの神話】アッカド語粘土板「イシュタルの冥府降り」
Translated by E.A. Speiser and George A. Barton

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2019年3月23日土曜日

女神アプロディーテと美少年アドニス_「神話と占い」(その12)_







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女神の「輪付き形十字架」と、男神(おがみ)の「T字形十字架」
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本来「十字架」は女神の子宮を表す「輪」の下に男根=〝世界軸(「生命の木」とも)〟を表すT字の木が付いた「輪付き形十字架(Ankh=アンク)」が原型で、この図象は女性と男性の「結合」による、「生命(の誕生)」と「豊穣」とを意味します。


「女神の十字架」とも呼ばれる「輪付き形十字架」は、女神の聖木(松、樫、葡萄、杉、アカシアが多い)「松」の小枝や「葦」などの草を編んで作られ、宇宙の「再生(穀物の芽生え)」を促す目的で、穀物女神デメテルとディオニュソス、運命女神キュベレーとアッティス、バビロニアの豊穣女神イシュタルなどの祭儀に登場し、祝詞(のりと)をあげて燃やされました。


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「輪」のない「T字形十字架(Tau.cross=タウ・クロス)」は、畑に立てたり木の枝に吊るすなど農地の魔除け・鳥除けとしても使われます。T字形十字架は「両腕を左右に伸ばし、両足を閉じた男性」を模したと言われる、一種の「人形(ひとがた)」です。

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一方、同じ長さの二本の木が交差する+形の二元論的「ギリシア十字(Greek.cross=グリーク・クロス)もよく普及しており、これが「T字形十字架」と融合した結果、後代キリスト教に取り入れられる「ラテン十字架(Latin.Cross=ラテン・クロス)」になりました。



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同種の、交差する二本の木が四方へ延びる×形「ギリシア十字(ケルトでは「ヴォータンの十字」)は古代人が駆使した「数秘術(ピタゴラス教団の数秘術、カバラの数秘術)」のひとつで、それはセム語族(エジプト人、ユダヤ人、アラビア人など)と、インド・ヨーロッパ語族(インド人、イラン人、ラテン人、ギリシア人など)が共通して神聖視した「4」の寓意であり、「4」は現世を支配するため設けられた天界の「四つの門(火、水、地、気、の四大、もしくは四方)」や「黄道十二宮(十二星座のこと。4(四大)×3(宇宙秩序)=12)」、「神を表す聖四文字(テトラグラマトン、「YHWH」「JHVH」など)」を意味します。

wotan


また、前述のとおり回転させれば太陽となり、「宿命の車輪(オルペウス教的には「因果の車輪」=原罪)」を表します。

IX



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呪い殺して没薬の木に変えたはずの女が、最期の一念で樹皮の中に遺児アドニス(セム語で「主=アドナイ」という意味)を産んだと知った愛欲女神アプロディーテは、処分に困りその養育を冥府女神ペルセポネに委託した。

やがて美しく成長したアドニスにアプロディーテは恋をし、同じく彼に心を奪われたペルセポネとのあいだで取り合いになる。話し合いの末アドニスは一年の三分の一(冬)を冥府で過ごし、残りの時間をアプロディーテと過ごすようになった。ところがアドニスは男同士何人かで狩りに出かけ、猪(野生の豚)に突かれて死んでしまったので、アプロディーテの手からは結局永遠に失われた。




【ギリシアの神話】女神アプロディーテと美少年アドニス
アポロドロス「神話」アッティカの諸王

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2019年3月22日金曜日

キュベレーとアッティス_「神話と占い」(その11)_






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牧人(ぼくじん)アッティスの悲劇
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母である運命女神キュベレー(別名レア)を犯そうとした至高神ゼウスは、抵抗されたせいで精液の一部を地面に垂らし、そこから両性具有のアグディスティスが生まれた。しかし性質が凶暴だったので神々は彼を去勢することに決め、酒神ディオニュソスが酔わせて眠らせ、髪の毛で男根を縛り木に繋いでおいた。


目覚めたアグディスティスは暴れ狂うことで自ら去勢し、切断された男根がアーモンド(もしくは柘榴ざくろ)の木に変わった。この木の実を摘んで食べた河神サンガリオスの娘ナナは途端に身籠もり、産み落としたアッティス(「牡山羊」という意味)は牝山羊に預けられた。


牧人アッティスは美しい若者になり、その美しさが評判になって王の娘と婚約した。しかしアグディスティスとキュベレーが彼に恋をして争い、結婚の祝祭歌が謡われている席にアグディスティスが踏み込んだので、狂乱したアッティスは女神キュベレーを祀る松の木の下で自ら去勢し、血を流しながら息絶えた。


【ギリシアの神話】女神キュベレーと牧人アッティスの悲劇
パウサニアス『地理史』第七巻「パトライ」アッテスの伝説
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2019年3月21日木曜日

ディオニュソスとオルペウス_「神話と占い」(その10)_







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ディオニュソス信仰とオルペウス教
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ディオニュソス信仰の歴史は古く、ギリシア文化圏ではミケーネ文明(紀元前一四五〇頃~前一一五〇頃)に遡(さかのぼ)ります。そこではディオニュソスは、父なるゼウスの青年相にすぎません(ゼウスの元名ディアウスと、ディオニュソスの元名ディウォヌソスは同じ語の派生形)。つまりディオニュソスは至高神の嫡子というより、父なるゼウス本人です。これは娘コレー(春女神)が母なるデメテル(豊穣女神)のもうひとつの顔であり、母自身であるのと同じ仕組みです。

そういう意味では、ディオニュソスはインド・ヨーロッパ語族(インド・イラン人、ガリア・ケルト人、ゲルマン人、ラテン・ギリシア人など)系宗教の特徴である至高神の形態「三相の神」の一郭です。そこでは美しいディオニュソスは春の神であり、その表の顔は自らの父でもある至高神ゼウスであり、二柱の破壊相がポセイドン(荒海の神、冥界神)、もしくはバッカス(冬の神、酒神、冥界神)になります。なのでディオニュソス信仰自体はデメテル信仰やゼウス信仰と同じ、豊穣祈願のための牧歌的な祝祭宗教です。



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ディオニュソス信仰とオルペウス教
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一方、オルペウス教(紀元前八○○頃~)は既存の神ディオニュソスをクレタ(紀元前三六五○頃~前一一七○頃)の救世主「ザグレウス」と同定して非業の死を遂げさせ、救世主化しました。そうして人間の魂はディオニュソスに属す「善」なるものであるのに、体(ソーマ)は巨人の質(肉体のこと)である「悪」に囚(とら)われ魂を不当に眠らせていると訴えます。

彼らに言わせれば人間は「魂の墓場(セーマ)」であり、「魂の牢獄」《プラトン『パイドン』》です。そこでは人の世の苦しみはすべて、魂の幽閉が原因です。ゆえに人間は巨人の質である自らの肉体を痛めつけ弱らせて、自らの魂を開放しなければなりません。すべての人間の魂が解放されたとき、人間は輪廻を解かれ天上のディオニュソスたる至高神ゼウス・ザグレウスへ吸収されて、この世は未来永劫救済されるのです。

注目したいのは救済されるのが個々の人間ではなく、個人の体に幽閉された魂の断片、つまりディオニュソス神であるところです。

オルペウスは死んだ妻を取り戻そうと冥府下降した末に、ディオニュソスの信女たちに殺され首を伐り落とされる竪琴奏者です。この宗教がオルペウス教と呼ばれるのは、その祭儀においてオルペウスの冥府探訪《オウィディウス『変身物語』》が模倣されるからであり、そこでは十字架は冥界への道のりを先導してくれる魂(ディオニュソス)の形代(かたしろ)です。

オルペウス教には正典も特定の布教地もなく、開祖とされるオルペウス自身が神話上の半神(音楽女神カリオペとトラキア王の子、もしくはムーサの息子のため、宗教というより「心体二元論」を標榜する秘密結社のひとつです。

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-エウリピデスー
さぁ、誇るがよい。
そして、菜食による食事を売り物にするがよい。
オルペウスを教祖として、煙のような多くの書物を後生大事にしながら、バッコス神の祭りを行うがよい。

【ギリシアの神話】エウリピデスが芝居のために書いた台詞(せりふ)
エウリピデス『ヒッポリュトス』
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2019年3月20日水曜日

オルペウス教・因果応報の十字架_「神話と占い」(その9)_







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樹木信仰と十字架
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ひと言で「樹木信仰」と言っても、その発現は一様ではありません。宗教として成立したわかりやすい例だけ列挙しても樹木神信仰の代表格である「ディオニュソス信仰・オルペウス教」と、その宗教モチーフを踏襲した「キリスト教」や「イスラム教」、これらの宗教に大きな影響を与えた「仏教(ジャイナ教の方)」が存在します。


共通するのは至高神の子として誕生し、予言の力を示したせいで断罪される半神(「人間神」「権現」ともいう)の試練が語られる点と、神の顕現を樹木で表現する教義です。ディオニュソス信仰は葡萄の木(もしくはマツ、アカシア、ギンバイカなど)、オルペウス教・キリスト教は無花果など(オルペウス教は柳、マツ、無花果=いちじく、葡萄など。キリスト教は無花果=いちじく、アカシア、シュロ、葡萄など)、イスラム教はオリーブと菩提樹、仏教も菩提樹を聖別します。


オルペウス教徒は芽吹いた枝で出来た人形(ひとがた)を「十字架」と呼んで持ち歩きましたが、それは古代「十字」が「因果応報の車輪」を意味したからです。「車輪」は古代(石器時代~歴史時代初期)において「太陽」を表すモチーフで、黄道(地上から見る太陽の軌道)を離れられないその属性が「宿命」を、毎日死んで甦る(日没と日の出)属性が「輪廻」を寓意しました。


彼らにとって「人間存在」は巨人族とディオニュソスとの不幸な合体の産物であり、人間の出会う苦難はすべて、巨人族がザグレウス=第一のディオニュソスを殺して食べたことに起因する「因果応報」、つまりは「原罪」の報(むく)いなのでした。


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アルゴー船の冒険の英雄であり、音楽の神ムーサの息子であるオルペウスは、新妻エウリュディケが蛇に噛まれて亡くなると冥府へ行って冥府神・プルートーンを得意の竪琴の音色と詩でもって説き伏せた。プルートーンは地上に出るまで妻を見ない約束でエウリュディケを詩の返礼の贈り物に与えたが、地上に近づくとオルペウスは不安になり振り返って妻を見た。妻は途端にずるずると後退し、再び地の底へと引き戻されて行った。彼女は、消え行く声で「さようなら」と言った。

地上へ戻ったオルペウスは女性を愛せなくなり、かりそめの恋の相手に歳若い男性を求めるようになる。ディオニュソス神の祭儀の仕事に就いていたが、女性への冷たい態度を恨まれて狂女(マイナス)たちの餌食となって死に、その首は詩人の島・ギリシアのレスボス島へ流れ着いたという。

【ギリシアの神話】オルペウスの冥府降り
アポロドロス『神話』第一巻第三章ムーサの子孫
オイディウス「変身物語」オルペウスとエウリュディケ
など
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