2019年3月17日日曜日

カイロネイアの王杖_「神話と占い」(その2)_






自分の趣味はギリシア神話やギリシア悲劇、古事記や歌舞伎演目などを小説化することです。母方の実家が芸能好きなため、子どもの頃から日本舞踊や歌舞伎には縁がありました。

ギリシア神話に詳しくなったのは、中学生でプラトンの「ソクラテスの弁明」に傾倒したのが原因です。プラトン理論を理解しようと、ギリシア神話や悲劇を読みあさりましたが、実際に好きかどうかは微妙です。以前にも書いたとおり、ギリシア神話に登場する「女好きな至高神ゼウス」は好きではありません。

ところで、自分の子ども時代はちょっと特殊で、あまり良い環境だったと言えません。父は性格的に身勝手で、母は子どものような人で新興宗教にはまり、家庭崩壊しました。科学知識と技術が確立した現代において、予言と占いを妄信的に信じる母をわたしは理解できませんでしたが、理解しようと多くの文献をひもときました。

こちらで紹介するのは、そんなわたしがかつて集めた資料と考察の一部です。




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指輪占いとダウジングの起源は違う
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起源が同じと言われる指輪占いとダウジングですが、そこには疑問があります。チベットやブータン奥地の村では、息を吹きかけて作る「砂曼陀羅」の荒行(選ばれた数人の修行僧が生命を懸けて砂を吹き続ける)が今も続けられています。それは砂の上に残された空気の痕跡を崇拝する古代思想で、「天空神信仰」に起源を持つものです。指輪占いやフーチなど、吊して行う占いも天空神への崇拝のように感じます。

古代人が砂の上の痕跡を重要視したのは、「神は大気中に宿る(天空神)」と信じていたからです。そこでは風は「神の吐息」であり、だから風が起こす自然現象は、それが波であれ風紋であれ、梢が揺れる高い木であれ、すべてが神の顕現と見なされました。

そうして波は「水占い(「グラス占い」「コーヒー占い」「油占い」など)」に発展、風紋は「砂占い(砂曼陀羅の出来で占ったり、砂漠に残された獣の足跡で占うなど)」に発展し、木々の梢への畏敬は「吊るす占い」に、さらに発展して「樹木信仰」を生み出しました。

いっぽう「杖占い=ダウジング」は、枝が「杖」や「槍」として利用されたせいで生まれた占いです。

杖は歩行の補助具であり、武器でもあります。そのためフーチや砂曼陀羅など「砂占い」が天空神信仰をそのまま持ち続け、今でもおもに宗教儀式の中に命脈を保っているのと対照的に、「杖占い」は歴史時代の始まりとゝもに、王権と深く結びつきました。だから杖占いは「見えない神=天空神」への、被虐的で盲目的な服従から人間がやっとひとり立ちし、「見える神=王」を戴いた時代の、喜びの記憶でもあるのです。




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二足歩行とダウジング
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「杖占い」は、人間の二足歩行の始まりと密接に関わっています。二足歩行に不慣れだったもっとも古い時代(石器時代)、人々は神の力を借りなければ、換言すれば杖に縋らなければ歩けなかったので、その頃から杖となる枝や、枝を供給してくれる樹木を「人間を補助する神」として特別に崇拝しました。

たとえばシュメール神話の豊穣女神イナンナはラピスラズリの杖を手に颯爽と出かけてゆくものゝ、冥府世界の門番にそれを奪われるや冥府女神エレシュ・キガルの前へは「よつんばい」で現われ、簡単に殺されてしまいます。原始時代~古代の人々は、杖がないと立って歩くのさえ難しかったように見られます。

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カイロネイア市(ギリシア)ではとりわけ玉杖を神聖視している。ホメーロスによれば、この玉杖はヘパイトスが造り英雄ペロプス(タンタロスの息子でペロポネソス半島の征服者)に与えたものだと言われ、市民は「御槍」と呼んで信仰する。

神殿はなく、祭司に決まった男子が一年毎に家に持ち帰り供養台を置いて供物を捧げ、毎日供儀を執り行う。

【ギリシアの伝承】カイロネイアの玉杖信仰
パウサニアス『地理史』第九巻ボイオティア
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木製の杖に鉱物を貼り付けたり碧玉で作った聖遺物としての「玉杖」は、我が国の古代遺跡からも発見されます。






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