2019年3月17日日曜日

タキトゥスが記録したモーゼ_「神話と占い」(その4)_







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王権を象徴する杖
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旧約聖書(内容は紀元前五五○~のアケメネス朝ペルシャまでに成立し、前三~二○○頃『七十人訳ギリシア語聖書』が編纂)』『新約聖書(「四大福音書」は西暦七〇頃~一世紀までに成立、西暦四世紀頃現在の姿に編纂)』『コーラン(西暦六一〇頃から神の使徒ムハンマドへの啓示が始まり、六五○頃ウスマーン版『クルアーン』が編纂)』では「預言者」として登場するモーセですが、紀元一世紀頃タキトゥス(五六頃~一二〇頃。ローマ元老院議員、アシア知事。『ゲルマーニア』『年代記』など)はその著書『歴史』ユダエア(ローマに支配されていたユダヤ人の居住地)反乱の項に、ユダヤ人やアラブ人の伝承とはまったく違う、ローマ市民に伝わったモーセの物語を記録しています。


ローマ帝国高官がローマ属州の反乱について好意的な文章を書き残すはずはなく、タキトゥスの言い分をどこまで信用して良いか悩ましいところですが、とにかく『歴史』では、流行病の原因を一方的に押しつけられ突然砂漠に遺棄されたエジプト生まれのユダヤ人たち(その時点ではまだエジプト人)を、指導者モイセス(モーセ)が励まし叱り、自ら水場を探し出すなど率先して動いて、二度と棄てられる心配のない自分たちだけの町を建設してゆく、というか、先住民族カナン(ギリシア語「フェニキア人」)人から土地を奪う経緯が雑然と描かれます。


同書のモーセに預言者らしい振る舞いはなく、結束力のない漂流民の中に傑出した指導者が現われ、苦難の末に王権を確立させる様子が確認できるのみです。


そもそも古代においては「予言神」という言葉が「至高神」そのものを表したように、「予言者(預言者)」は「王(神の予言を預かるこの世の代表者)」の同意語でした。



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一番多い伝承の一致した意見では、エジプト全土に皮膚がただれる疫病が流行ったとき、ポッコリス王(前八○○頃、第二四王朝テフナクト一世)は神託に従い、神々に疎まれている人々を国中から集め荒野に捨てさせたという。棄てられた民らは嘆き悲しむだけで呆然としていたが、仲間のひとりモイセスが「我々は神にも人にも見捨てられたのだから、自分たち自身を信じ、自分たち自身で現在の悲惨から立ち上がらなければならない」と言った。

人々は同意したが、実際には何をどうしたら良いかわからず、群れをなして行きあたりばったりに進んだ。しかし水場を見つけることができずやがて皆が散らばって倒れ、あとは集団死を待つだけという身の上になった。

そのとき、野生のヤギの群れが横切ったので、モイセスはひとりでそのあとを追って行き、崖を越え、豊かな水源を見つけて帰って来た。こうして棄民たちは生命を永らえ、その後六日歩いて耕作地を見つけた。七日目、耕作地の住民らを追放して土地を奪うと、彼らはそこに町を建設した。

【ローマ人の記録】タキトゥス『歴史』第五巻 ユダエア
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