2018年9月22日土曜日

さぁ、地獄の釜の蓋を開けよう



ウィリアム・アドルフ・ブグロー「カインとアベル」

今年の初めに、弟が死にました。
あっという間に9ヶ月経ちましたが、
まだ、立ち直れません。

立ち直る予定もありません。

弟はもうこの世にないのだということを、
受け止めて生きてゆくしかありません。

もとからそんなに、仲良くはない姉弟でした。
人生の大部分の時間を共有しましたが、
一緒に暮らせたのは、合計でも12年に満たないほど。

小さな頃はもちろん、
大人になってからはいっそう
わがままで浪費家で、
一方的に、
わたしから奪ってゆくばかりの弟でした。

この数年は
お互い激しく、憎しみをつのらせました。

弟は今まで以上に多くのものを要求し、
もう若くはないわたしには、
愛情も含め
あけ渡すものなど、
何ひとつ残っていないことを、
最後まで理解しようとしませんでした。

念のためですが、
犯罪者ではありません。
奪うのは姉のわたしからだけです。
姉が自分の味方だと信じて疑わず、
全身全霊で甘え、妄想の世界を執念で生き抜きました。

兄弟が憎みあい殺しあう物語と言えば、
古典好きなら、
まずはカインとアベルを思い浮かべるところでしょうか。
きっとそのあと、ヤマトタケルでしょうね。

男同士の兄弟ならば、
憎みあっても仕方ないということなのか。

いっぽう、姉と弟が憎みあう物語は
名作古典や聖典に、そう多く存在しません。
姉は母代わりに弟を愛すべきだという既成概念が、
その原因であるように思います。

ギリシア悲劇や神話作品の原本の多くが没落したイタリア貴族
の遺産や蔵から発見されたように、
名作古典や聖典が後世に伝わるかどうかは
それが書かれた当時の為政者(いせいしゃ)の好みに左右されます。

姉が弟を殺す物語は、古代人の好みではなかったのでしょう。

でも、すべての姉がエレクトラではないのです。
弟を守るために、人生を捧げる姉ばかりではありません。

と、ここまで書いたところで気がつきました。

考えてみれば我が国には
「誓約(うけい=卜占裁判)」という、
アマテラスとスサノオの、ものすごいのがありましたね。

(つづく)





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