子どもの頃、事情があって児童養護施設にいました。
すごく幼い時期にいたので、わたしに言葉を教えてくれたのはシスターです。
わたしは感情を表に出すことができない子で、自閉症児と疑われていました。小学校に上がるまで、結局三回検診で自閉症児と言われたのに、学童になるとそれらしい気配すらなく、今では「あれは誤診だった」と言われてます。
家系的なものなのかも知れませんが、父方の従兄弟で同じように医療機関で自閉症と言われて養護学級へ行き、高校卒業時にまったく正常だったと判明した人がいます。とても珍しい症例だそうです。
自分の経験だけで言うと、わたしはその頃、単純に言葉が理解できませんでした。言葉がわからないので他人の感情を読むことができず、不安のため、押し黙っていたのです。
出エジプト記 海に出来た道 |
わたしはまだとても小さく、自分がどうして児童養護施設にいるのか本当には理解していませんでした。父と母がどこへ行ったのか、自分はどうして家に帰ることができないのか、シスターに聞きたいことはたくさんあったのですが、言葉がわからないので我慢していました。
そんなことですので、偉い神父さまのお説教は、わたしにはさっぱりわかりませんでした。女子修道院に併設された児童養護施設のため、大人の男性を見ること自体が珍しく、ほかの子どもたちも、みんなただ、施設の中を歩き回る男性にびっくりして怖がっていました。お話を聞くなんて状態では、ありません。
出エジプト記 十戒 |
そこでミサのあと、わたしたちのお世話をしてくれていたシスターのスカートを引っ張り、「モーゼって、なあに」と、聞いたのです。
するとシスターは大喜びで、たくさん話してくださいました。
でもその説明は、やはり、まったくわかりません。
それでも、どうしても言葉の秘密を知りたかったわたしは「モーゼって、なあに」と、執拗に同じ質問を繰り返したのです。シスターはやがてハッとしたように目を開き、「男の人の名前よ!」と、言いました。
「名前って、なあに?」
「花とか、木とか、水とか、知っているでしょう? それは同じもの全部を指す言葉なのよ、でも、たったひとりだけを指す言葉があるの。それを名前というのよ」
「じゃ、モーゼはそれなの?」
「そうよ。花や木にはないけれど、人間には、ひとりひとり違う名前があるの」
「わたしにもあるの? わたしは、なあに?」
「あなたは□□□ちゃんと言うのよ」
「ママにも、あるの?」
「□□□ちゃんのお母さまは、△△△さんという方よ」
「パパは?」
「ごめんね、お父さまのお名前は覚えていないの。あとで調べて教えてあげるね」
出エジプト記 燃える木立 |
わたしはだいぶ長いあいだ黙り込みました。
そういうことであれば、どうしても知りたいことがあったのです。
シスターはそんなわたしに何かを感じ、粘り強く膝をついたまま待っていてくれました。
「あのね、、、あの、、、あの、、、」
「なあに? なんでも聞いていいのよ?」
「じゃ、イエズスっていうのは、、、、」
「そうよ! お名前よ!」
「イエズスは、それなの」
「イエズスさま、という方が良いのよ。でも、そうよ、お名前よ。ごめんね、今まで何のことかわからなかったのね。イエズスさまは、とても偉い方のお名前よ」
「じゃ、イエズスさまは、人なの」
「いいえ! イエズスさまは神さまです!」
「えーっと、、、、、(困惑)」
(以下、わたしとシスターの珍問答がつづきます)
人に固有の名前があることを、そのときまで、わたしは知りませんでした。固有名詞というものを理解したあと、わたしは急速に言葉を覚え、次の週(最後の週)の神父さまのお話はほんの少しだけ、理解することができました。
わたしに言葉を教えてくれたのは神父さまと、シスターです。
わたしが最初に覚えた名前は、「イエズスさま」と「モーゼ」でした。
ちょっと自慢です。うふ。
2 件のコメント:
>「名前って、なあに?」
すばらしい質問だと思います。
そして主なる神は野のすべての獣と、
空のすべての鳥とを土で造り、
人のところへ連れてきて、
彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。
人がすべて生き物に与える名は、
その名となるのであった。
―― 創世記、第2章
連れてこられても、
これをイヌと呼び、あれもイヌと呼び、
それをイヌと呼ばない、
なんてことは、ああ、そうか、人にはできないんだ。
>創世記、第2章
すてきですね。ありがとうございます。
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