2019年4月27日土曜日

リグ・ヴェーダ、プルシャスの章_「神話と占い」(その47)_






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創造神の末路
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太古の昔(新石器時代~青銅器時代初期)、陰で「老女」と嘲られながら巫女たちが政権を握っていたころ、生き血を注いで土と交わり肉体を大地に埋められて女神(大地)と融合する「聖婚」は、男性を神格化する唯一の手段でした。受胎のメカニズムが周知される以前には、犠牲死することはもっとも古くもっとも正当な〝半神〟の在り方でした。


ゼウスやオーディンなど男性創造神が「中空」のモチーフを多用する理由について、「女性であるだけで〝繁殖〟の寓意になれる女神に対抗するには、それ以外方法がなかった」ように説明してきましたが、さらに言えば「捧げられて一度死に、女神の息子として生まれ直す」ことが男神が創造神になる必要最低条件だったので、生け贄死の後の蘇りを想起させるため、〝天から吊される中空モチーフ〟を多用せざるを得なかったとも言えます。


「中空」は、犠牲を死んだ体で描けば「(女神による)〝産む〟創造」を寓意し、そうでなければ「(男神の)〝蘇りの〟創造」を寓意します。聖セバスチャンのような〝中空で死んでしまった男性〟のモチーフは、言ってみれば「ぶら下げられた(女神の)生餌」のようなものです。


一方、この時代女性自身は幸せだったかといえば、必ずしもそうと言えません。女性はたいていそうですが、「自分の子どもだけ」が可愛いものです。女性主導で築き上げた母権制社会も、つまりは同族重用はなはだしい、極端な階級社会でした。


身分の低い母親から生まれた女性は配偶者を得ることができず、神殿娼婦として一生を終えるか、他人の使用人や奴隷として名前もないまま死にました《ソフォクレス『アガメムノーン』には、一生名前を持たない侍女たちが登場する》


知力、体力、美貌にめぐまれ、身分の高い母親から生まれた女性は巫女の職を振り出しに、努力次第で「女神」の座まで昇りつめることが可能です《サルゴンの娘エンヘドゥアンナや、パウサニアス『地理史』「シビュラの岩」、ヘロドトス『歴史』セミラミスの伝説など》。「女神」は筆頭巫女の地位ですが、時代が下るにつれ(青銅器時代初期)名称だけ「女王」に変わりました。


「女王」は祭儀の一環としていつも同じ名前の「新顔の夫(女神の生け贄となる「聖王」たち)」にかしずかれ、国の役に立つ優秀な子どもを次々と出産します。しかし、その栄光の果てには彼女の配偶者たちが辿ったのと同じ、恐ろしい運命が待ち受けていました。


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神々がプルシャを供物としたとき、春、夏、秋も手を貸した。太古に生まれた彼を、神々は賢者らと力を合わせ敷草の上で濯ぎ浄めた。神々がプルシャを切り分けたとき、彼の口がバラモン(「祭司」のこと、ブラフマナとも)になり、両腕がラージャニア(「王族・武士」のこと、クシャトリアとも)、両腿がヴァイシャ(平民)、両足がシュードラ(奴隷)になった。月は彼の心から生まれ、太陽は彼の眼から、雷神インドラと火の神アグニは口から、風の神ヴァーユは呼吸から生じた。

そうしてプルシャの臍から「空間」が生まれ、頭から「天上界」が顕れ、両足から「地上界」が、耳から「方向」が出来あがった。彼のためのパリディ(祭り火を囲む木材)は七本、神々がプルシャを生け贄として吊したとき、三十七本の薪が造られた。


【インドの神話】世界体プルシャスの供儀
『リグ・ヴェーダ』プルシャスの章
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女神の創造力に翳(かげ)りが射せば、創造神は自らの肉体を地の肥やしとして提供し、後身に道を譲らなければなりません。その決定の不条理さは、自分の意思と関係なく次の王と闘い、負ければ犠牲死しなければならなかった聖王たちに、勝るとも劣らぬものだったろうと想像します。


「女神の創造力」とは、つまり出産能力です。なので犠牲式のあと一度でも受胎しなければ、その理由が男性側にあったとしても、女神は引退を余儀なくされたことでしょう。


シュメール神話において豊穣女神イナンナは冥界で裸にされ、壁に掛かった鉤へ吊られて死にました。「裸にされる」というのは、神の霊力を奪われることを意味します。代替わり式では女王が着けていた装身具の「帯」、「首輪」「耳輪」「腕輪」などを文字どおり剥ぎとり、冥界女神エレシュ・キガル(イナンナの双子の姉妹)の仮面を被った後任者に、神官か巫女が手渡したろうと思われます。


前の女王(母)が吊されて死に死体が切断されて地に蒔かれたあと、冥界女神エレシュ・キガル(老女)であった後任者は冥界を模した祭儀所、おそらくは洞窟の最奥で忌み日を過ごし、春には新しい豊穣女神イナンナ(処女)として、晴れやかに再生したことでしょう。


女王(女神)に選ばれなかった巫女たちは、本物の「老婆」になるまで(巫女は「老婆」と呼ばれていた)、現人神(あらひとがみ)となった後輩巫女に仕えなければなりません。






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