2019年4月29日月曜日

空中庭園セミラミスの伝説_「神話と占い」(その49)_






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始めであり、終わりである、獣
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神話では多くの場合生け贄(男性)は「太陽」と「牛(馬、鹿なども。角もしくは蹄(ひづめ)、顎のある動物)」に、生け贄を受けとる女神(女性)は「月」と「蛇(サソリ、もしくは水中生物)」に関連づけられます。インド・アーリア族の神話《『リグ・ヴェーダ』『アヴェスター』など》では「牛」は始めの日、天地創造のために捧げられる「原初の生け贄」であり、終末の日、人間のために捧げられる「最後の生け贄」です。


つまり「始めであり、終わりである《『ヨハネの黙示録』》」獣なのですが、一方で「蛇」もまた、世界の神話に「始めの終わり」として出現する重要なモチーフ《世界需を取り巻くヨルムンガルト、ギリシア神話のウロボロスなど》で、古代の考え方ではこの二種類の獣は切っても切れない関係にあったようです。


ちなみにヴィシュヌ(インド)、ヘラ(ギリシア)、デメテル(ギリシア)など〝生きている〟神は「牛」が使徒獣、ハデス(ギリシア)、ペルセポネ(ギリシア)、ディオニュソス(ギリシア)、エレシュ・キガル(バビロニア)など〝死んでいる〟神(冥界神)の使徒獣は「蛇」で、そこから牛は「光(アフラ・マズダなど)」の、蛇は「闇(アーリマンなど)」の象徴なのがわかります。


牛が神聖視されたのは、体の大きさに比べて扱いやすく捕獲も飼育も簡単なうえ、頭の先から尻尾の先まで利用できる便利な動物だったからと推測されています。


蛇が神聖視されたのは脱皮を目撃した古代人が「蛇は古くなった体を棄て、新しい体で生まれ変わる」と思い込んだから、という説が有力です《プルタルコスなど》。蛇を家畜にすることは殆どなかったので、当時の人々は「蛇は死なない」と、信じ込んでいたのでしょう。人間の暮らしのために生命を捧げてくれる「牛」が「太陽」と、不死の生き物である「蛇」が「月」と結びつくのは容易いことでした。


古代(~青銅器時代)の人々の目には、太陽は毎日日没前に爆発(夕陽のこと)して死に、その紅い炎(太陽の血)が月女神のために地上を浄化するように見えました(ゾロアスター教など)。炎で焼き尽くされ浄められた大地には、静かな闇(女神)が訪れるからです。そのため太陽は犠牲と同定され、さらに一過性の生命である牛と関連づけられました。反対に、昼も夜も目視可能な月は不死の象徴として蛇に同定され、死と再生を司る女神の寓意になったのです。



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ニネヴェを築いた偉大な王ニヌス(治世紀元前八二三~前八一一、新アッシリア王シャムシ・アダト五世に同定)の妻、セミラミスの出生については伝えておかなければいけない。

その母デルケトーはシリアのアシュケロンの湖の女神であったが、女神アプロディーテ(イシュタル)の差し金で美しい男性信者に恋をして子どもを産み、この男性を殺してから自(みずか)らも水に身を投げた。しかし死ぬことができず、魚たちの母になった。湖の畔の岩場に置いておかれた赤児は鳩が一歳ごろまで育て、そのあとを継いだ羊飼いシンマスがセミラミス(鳩)と名づけ自分の子どもとして育てた。

セミラミスは美しく成長しニヌスの部下オンネスの妻に迎えられたが、ニヌスが娘を差し出してまでオンネスに妻の委譲を迫ったので、忠誠心と愛とに引き裂かれオンネスは自(みずか)ら首を吊って死んだ。

王ニヌス亡きあとセミラミスは女王として君臨し、バビロニアに都市を建設して宮殿に空中庭園を築き、メディアへ、次いでエジプトへ遠征した。そしてそこでアモン神の祭儀に臨席し、「自身の息子ニニャスに謀られて死ぬ」という託宣を得た。

インドへ遠征したあとニニャスが宦官と結託し女王の失脚を謀ったが、セミラミスは息子を罰せず、国家に王への忠誠を誓わせたあと、自分は人々の前から忽然と消えてしまった。神話では鳩になったと言われている。いずれにせよ治世四十二年、六十二歳で死んだことになる。



【メソポタミアの伝承】空中庭園を築いたセミラミスの伝説
シケリアのディオドロス『歴史叢書』第二巻
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ところでメソポタミアや古代ペルシアの遺跡から発見される「牛を殺す獅子」のレリーフは、〝牛=浄めの雨(血)〟が〝獅子=夏の太陽〟に征服されること、つまり「季節の移り変わり」を表していると言われ、一方、ダビデやヘラクレス、オイディプスなどの伝説に現われる聖王自身による「獅子殺し」は前の聖王を新しい聖王が殺すこと、要するに太陽神(人間神)時代初期の「聖王の代替わり儀式」を表現したと言われています。

いわゆる「神自身による神殺し」と呼ばれるモチーフであり、「時間の永続性」を讃えるものです。


犠牲祭が催される目的を「季節の巡りを促す」ためなどと説明してきましたが、もっと根元的な話をすれば「太陽が予定どおり動くよう、管理する」のが目的でした。






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