2019年4月17日水曜日

ドドナ縁起_「神話と占い」(その37)_







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「中空」を駆(か)け抜ける「天空神」
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そうして、唯一神または祖霊の粒子が充満している天空(中空)を自由に行き来できるのは、天使など「神(至高神)の使徒」か、神(至高神)の呼吸である「風」、鳥に身をやつすなどした「神(至高神)自身」です。


たとえば樹木神でもあり、人間神でもあり、天空神でもある神々は、世界各地にその足跡を残します。エルサレムの旧市街には十字架を担いだときのイエス・キリストの足あとがあり、トルコのトプカプ宮殿には神の使徒ムハンマドの足あとを象ったという聖遺物が安置され、インドにはヴィシュヌ神の足裏、仏教寺院には仏陀の足裏を象った仏足石が存在します。一方でイエス、ムハンマド、仏陀などは「地面を歩いているように見えて、その実近づいてみると地面すれすれの空中を歩いていた」という伝説でも知られています。


彼ら半神は天の御遣いとしての役目を果たすべく一時的に「人間」の姿で顕現した「天空神の分身」で、だから「よく見ると宙に浮いていた」という伝説が出来上がってしまうのですが、古代の人々は波や風紋、砂の上の獣の足あとを「天空神(至高神)の痕跡」もしくは「天空神(至高神)のメッセージ」として特に崇拝していたため、宗教儀式に「神の足あと」はどうしても必要なものでした。


おそらくこれらの聖遺物は当初は神官らの手で捏造されて祭儀に用いられ、のち「(彼ら半神が)人間として確かに存在した」証拠品になったものでしょう。ところが学術的には「足あと」の聖遺物は彼らが人間であった証拠とはならず、逆に「天空神(中空神=至高神)」だった証拠=人間ではなかった証拠になるので皮肉です。



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中空に顕れる至高神の意志を探ろうとして、古代の人々は様々な占いを編み出しました。たとえば、「鳥占い」と「内臓占い」です。


「鳥占い」は鳥が飛んで行く方角で占い、「内臓占い」は生け贄に捧げた聖獣の腹を裂く占いですが、どちらの占いも未来を漫然と予測するのではなく、たった今誓願した自分の言葉がしっかり神に届いたかどうか確認しようという趣旨のものでした。古代の「占い」は生け贄を捧げて行うので、漫然と未来を占うだけではコストが合わないのです。因みに『農耕と日々』《ヘシオドス》には、新しく購入した雄牛の無病息災を祈るための、山羊の犠牲式が出てきます。


具体的には、「鳥占い」は生け贄を捧げて誓願し、あとはひたすら鳥が飛ぶのを待つものです。右方向へ飛んでゆくのを見ることができれば「神が受けとった」、つまり「誓願叶う」ことを意味し、それ以外ならば「生け贄が拒否された」ことを意味します。ところが半日待っても鳥が飛ばない場合も多く、やがて結果がすぐわかる「内臓占い」が、「鳥占い」と同時に行われるようになりました。「内臓占い」は生け贄とした家畜を解体し、内蔵の変形や腫瘍のあるなしを見るものです。このとき何らかの異変が発見されれば「神は受けとらなかった」と見なし、そうでなければ祝宴が催されます。



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あるときエペイロス(ギリシア)山中にあるドドナの樫の枝に、エジプトのテバイから飛んで来た一羽の鳩がとまり、ゼウスの神託所を創設すると土地の者に告げた。それ以後、この樫はゼウスの言葉を告げる聖木となった。

ドドナの神託は樫の枝にとまった鳩のさえずりか、風にそよいで揺れた葉音を解釈することで行われたが、神の言葉をより明瞭に聞きとるためやがて枝に銅鐸が吊り下げられた。ゼウスに仕える神官はセロイと呼ばれ、巫女たちはグライアイ(老婆)、もしくは「鳩」と呼ばれた。


【ギリシアの古伝承】至高神ゼウスの聖域
オウィディウス『変身物語』ドドナ縁起
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神話物語における色狂いな描写と対照的に、至高神ゼウスの神託は非常に静かでした。後代になって神の言葉をより明瞭に受け取るため、ドドナの樫の枝には銅鐸(どうたく、鈴とも言う)が吊り下げられます。


これと同じ目的で使用されたであろう銅鐸が、日本各地の弥生(起源前十世紀~後三世紀頃)遺跡から出土します。銅、錫、鉛の合金製の銅鐸は弥生時代にのみ作られた日本の青銅器で、今のところ何に用いられたかはっきりとはわからない聖遺物です。大きさは高さ約二十センチから一メートル五十センチまで様々で、木の棒で叩けばかなり高い音を奏でることから、内部に木の棒を吊り下げて鈴にし、枝からぶら下げて祭儀に使用したのではないかと言われています。






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