2019年4月26日金曜日
前1200年のカタストロフ_「神話と占い」(その46)_
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海の民の侵攻
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ウガリットは現在の〝シリア海岸〟ラス・シャムラにおいて隆盛を誇ったカナン人(ギリシア名「フェニキア人」=パレスチナ人の祖先)の都市国家で、紀元前一五世紀から同一三世紀頃までが最盛期、青銅器時代末期であった紀元前一二○○年頃、「海の民」の侵入により突如滅亡したと推定されます《エジプト代二十王朝ラムセス三世治世八年目の「海の民」のエジプト侵入時、、「海の民」は分散しカナン地方へ入植している(「ハリス・パピルス」)》。
「海の民」というのはいわゆる「前一二○○年のカタストロフ(前一二○○年に起きた地中海東部の社会変動のこと、古代ギリシアは文字文化を失い、後代「暗黒時代」と呼ばれる文化の低迷期を迎える)」の原因となった、主にエジプトへ侵入した海洋民族の総称《カイロ博物館二代目館長ガストン・マスペロ》であり、前述のとおり特定の民族を指すものではありません。
よく知られる記録は『メルエンプタハ碑文《カイロ博物館蔵》』、『ラムセス三世葬祭殿レリーフ《エジプト「メディネト・ハブ」》』、『〝大〟ハリス・パピルス《大英博物館蔵》』です。『メルエンプタハ碑文』は、史上初めてイスラエル民族の存在について記述した歴史的遺物としても有名です。同碑文には各民族名と帰属国家名が明記されているのですが、ここに彼らの国名が記されていないため、『旧約聖書』における「荒野をさまよっていた時代」と推定されています。
エジプト王の記録によると「海の民」の構成はギリシア人(ミケーネ、クレタ)、後代のローマ・イタリア人(エトルリア、サルディーニャ、シチリア)、アナトリア人(リュキア)となっており、エジプト沿岸において海上生活をする漂流民の集合体でした。「海の民」の民族移動はギリシアの史実としては「ドーリア人の侵攻」として知られ、ギリシア神話上は「ヘラクレスの後裔の帰還」として語られます。
この民族移動によりクレタ島のミノア文明(完全消滅したのは地震の影響)、ギリシア本土のミケーネ文明が滅ぶ(クレタとの仲間割れによる、相打ちの可能性も指摘される)とともに、楔形文字「線文字A(クレタ)」「線文字B(ミケーネ)」が消滅しました。
皮肉なのは「〝海の民〟ドーリア人」の侵攻によって崩壊したはずのミケーネ文明諸都市の人々(ミケーネ、ピュロス、ティリンス)が、海の向こうでは自身も「海の民」であった事実です。ドーリア人は、現トルコ・アナトリア方面から移動してきた「海の民」でした。のちドーリア人は都市国家スパルタを建国、古代ギリシアに新時代を築きます。
「前一二○○年のカタストロフ」により、メソポタミアにおいてはヒッタイトやバビロン第一王朝が滅亡、それを契機にヒッタイトの鉄器製造技術が地中海全域に広がって、鉄器時代の到来を促します。カナン人はその後南下しシドン(新バビロニアにより陥落)、ティルス(新バビロニアにより陥落)、カルタゴ(ティルス人が建設するが、ローマとの戦争=ポエニ戦争により消滅)を建設しました。
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