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女神のルール「生命の等価交換」
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いま、聖殿の門は閉められた
祭司たちが最奥にある至聖所の、祭壇の前にへ集められた
そう見てとるや、女神アナテは平原へ出て、殺戮に着手した
ふたつの都市の息子たちの首を、彼らの胴から切り離した
岸辺の国からやって来た、王子たちをうち殺した
日の出るところからやって来た、民衆をせん滅した
斬り取られた首はハゲワシのように飛び交い
斬り取られた腕はイナゴのように飛び交った
嗚呼、刈り取った麦穂を束にし、掴んではまた積み上げるように
アナテは素早く攻め回る
首を斬っては後ろへ高く跳ね上げ
それを集めて紐でくゝり上げると
アナテの膝は兵士たちが流した血の海に浸かり
アナテの腰は戦士が流した血糊に染まった
アナテは背中を丸めて
祭司の手を借り、虜にされた犠牲者たちを聖別して回った
それからアナテは宮へ向かった
自(みずか)らの宮殿に入り、自分自身を取り戻した
でも、平原での殺戮に、まだ満足はしていない
だからもう一度、戦士のための椅子をしつらえ
もう一度、兵士たちのテーブルを整え
もう一度、英雄が足を休める足台を置いた
それを打ち払って、眺め下ろした
それを斬り捨ててから、睨み下ろした
アナテの肝臓が、歓喜のあまり震えだす
アナテの心臓が、誇らしさに満たされる
アナテの手には、勝利と救済が握られていた
それを得るために、兵士の血の海に膝まで漬かり
それを得るために、戦士の血糊に腰まで染め
殺戮に充足されるまで
テーブルを切り裂いたのだ
しかしもはや、兵士たちの血は浄められた
オイルのような平和が、聖殿の壁を覆っていた
処女神アナテは手を洗う
至高神の女兄弟はすべての指を洗い浄める
自(みずか)らの手に残る兵士たちの血を拭い去り
すべての指から戦士たちの血糊を拭い去ると
椅子を椅子の場所へ戻し
テーブルをテーブルの場所へ戻し
足台を足台の場所へ戻し
水を掬いとって洗い浄めた
恵みを授けるべく、霧が大地を水滴で浄めるように
雲の谷間に坐す彼の御方の、雨が大地を水滴で浄めるように
天上の霧が大地に力を注ぎ
天界の星が雨に力を注ぐように
アナテは幾千もの山々の峰へ放尿して巡り
排泄した糞(くそ)を海原(うなばら)へ投げ入れた
【カナンの神話】日出(ひいず)るところの民衆をせん滅する豊穣女神アナテ
ラス・シャムラ遺跡で発見された粘土板、REV. PROF. JOHN GRAY M. A., B. D., Ph. D.
⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒ラス・シャムラ遺跡で発見された粘土板、REV. PROF. JOHN GRAY M. A., B. D., Ph. D.
とり上げた詩は粘土板に記録されているもので、戦闘女神アナテの恐ろしさをものがたる、神話ファンおなじみの血まみれエピソードです。しかし前後の粘土板が失われているため、女神アナテがいったい何の目的で、何を祈祷されて兵士の血だまりに浸らなければいけなかったか、その文脈は本当のところわかっていません。「日出(ひいず)るところ」「日出(ひのでの)の民」という表現は粘土板に頻出する表現で、一般にペルシャ湾近辺を指すと解釈されています。
ウガリットは「海の民」の侵入により、滅亡したことが明らかになっています。「海の民」というのは特定民族の名称ではなく、この当時海上生活をしていた「のちのラテン系民族」を指しており、『旧約聖書』に登場する「ペリシテ人(ラテン語「フィリスティア人」、ミケーネ文明に属する「海の民」の可能性が高い)」などがその一部として知られます。そのため、ここでのアナテの殺戮は海からやってきた簒奪者とカナン人との攻防や、戦勝を祈念するための犠牲祭を連想させます。
太母神信仰時代の女神たちには、生命の等価交換が基本です。ひとり蘇らせるにはひとりの犠牲が必要で、ひとり殺すにもひとりの犠牲が必要です(願いごと一件に対してひとり、という計算)。相手の国を亡ぼしたいと祈念するには、相応の数の犠牲を捧げる必要があります。もちろん、奴隷では数が足りないため、粘土で作った人形などが大いに利用されました。
しかし「生命の等価交換の法則」は青銅器時代を迎え男神を中心とした万神殿が築かれるや、物語の中にわずかな痕跡を残すだけで、表向き人の意識から消えてゆきました。神々の階段の最下位に位置する身分の低い神と、最上位に座を占める至高神とが同規模の犠牲を要求するのは、階級主義にそぐわないからです。
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