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太陽を管理する、至高神
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太古(~新石器時代)の人々は「人間には、無から創造する力はない」と信じていました。だから「季節」や「時間」、「雨」や「芽生え」など自分たちで何か創ろう、為(な)し遂げようと思うときには、その利益に応じた交換品・生け贄を、捧げずにはいられませんでした。
その時代の考え方では、「生命が生命を産む」からです。男性の生け贄に「神の仮面」を被らせたり(ディオニュソス神の仮面など)、女神の化身である巫女と性交させたりして創造神の「御霊(みたま)を写」そうとしたのも、「創造神自身が、創造神を産む」と信じていたせいです。
男性や身分の低い女性たち、罪人の生け贄はしょせん女神自身の身代わりです。ですから、実際に女神の役を負っている巫女の力に少しでも疑念が生じれば一刻も早く後継者を選任し、現在女神である巫女の力が完全に失われる前に、すみやかに霊力を移譲させました。なお、女神自身の生け贄は、身代わりのそれより数段価値のあるものでした(至高神の身代わりである牝牛の生け贄は至高神に捧げられる)。
『リグ・ヴェーダ(インド)』の巨人プルシャや『エヌマ・エリシュ(バビロニア)』の海水ティアマト(マルドゥクに敗れふたつに切断されて「天」と「地」になる)、『エッダ(北方ゲルマン)』の巨人ユミル(オーディンに敗れ臼=うす、で挽かれて「地」と「海」になる)のように切り刻まれ、宇宙創造の種となった原初神は「世界体」もしくは「宇宙体」などと呼ばれます。
プルシャは仏教においては毘廬遮那仏(ピルシャナぶつ=華厳宗の本尊)として知られ、万物を照らす太陽であり知恵の力で全宇宙をあまねく照らす知徳の光、すなわち「大仏」です(密教の大日如来)。
「大仏」は宇宙大に広がる神だと言われますが、その理由は「切り刻まれて宇宙になった」からであり、毘廬遮那(ピルシャナ)が太陽と同定されるのは、『ヴェーダ』時代の祭儀が本当のところ、「太陽を管理する」目的で実施されていたことに由来します。
古代人にとって大切なことは、何より「太陽を管理する」ことだったのです。
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情け深くも神(アッラー)は、
クルアーン(コーラン)を授け、
人を創り、
ものの言えない物たちから分け給う。
情け深くも神は、
太陽と月とを計算どおりに働かせ、
星と樹木を従わせ給う。
情け深くも神は、
蒼穹(青い天)を高々と持ち上げて、
正義と邪悪を判定する天秤を、人のためにと設け給う、
汝、目方を誤魔化すなかれ、
公正を期すのだ、決して少なく量らぬように、と。
また神は、すべての生あるもののために地を据えならし、
そこには果実、ナツメヤシ、大麦小麦と香草が生い茂る。
これほどのお恵みを前にして、
さァ、さァ、さァ、何が嘘だと言いたいのか。
【イスラム教】太陽と月を管理する
『クルアーン』第五五節
⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒『クルアーン』第五五節
イスラムの象徴である三日月は「月女神の象徴」であり、女神の祭儀を執りしきる巫女たちが生け贄を切り刻んだ「三日月鎌」の寓意です。神の使徒ムハンマドの出身部族クライシュ族の守護神「アッラート」は、ギリシアの月女神レトと同定される、月女神でした。
古代社会においては昼に明かりを提供する「太陽」よりも、夜に明かりを提供してくれる「月」の方が偉大とされ、時代が古ければ古いほど至高神は「月神」と相場が決まっていました。
また、月の満ち欠けが潮の満ち引きと関係していたことから、月神は創造神でもありました。『ヴェーダ』世界や太古の昔のメソポタミア・エジプトでは、太陽は月神の使徒としての別相にすぎず、気温を上げすぎて干ばつや森林焼失を引き起こしたり、反対に気温を上げずに冷害や洪水を引き起こす厄介な存在でした。そこでその主たる月神のため、熱心に生け贄が捧げられました。
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