2019年5月30日木曜日

アルマフディーと終末論_「神話と占い」(その80)_






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シーア派の千福年説
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アリーとファーティマの息子フセイン(サイイド=尊称・アルシュハーダ=尊称・アブーアブドッラー・アルフセイン・イブン・アリー)には、ササン朝ペルシャ第二六代王ヤズデギルド三世(?~六五一、カーディスィーヤの戦いでイスラム軍に敗北)の娘シャフルバーニーとのあいだにザイヌルアービディーン(ザイヌルアービディーン・アブームハンマド・アリー・イブン・フセイン。六五八~七一二、通称「小アリー」)という息子があり、病床に就(つ)いていたせいで「カルバラーの悲劇」を免(まぬが)れていた。

シーア派(「アリーの党」の略)の人々はムハンマド生前の意向を無視した合議制選出の「ハリーファ(カリフ)」には統治権を認めず、預言者直系子孫の世襲・後継者指名による「礼拝・宗教指導者=イマーム」位を重視、アリーを初代イマームとみなし長男ハサン(アブームハンマド・アルハサン・イブン・アリー・イブン・アブーターリブ)を第二、次男フセインを第三、その息子ザイヌルアービディーンを第四イマームとして恭順した。ザイヌルアービディーンはメディナへ引き返して一族の追悼に明け暮れ「祈りの人」と呼ばれたが、ハリーファの放った暗殺者によって毒殺された。

ザイヌルアービディーンの死後、彼が伯父ハサンの娘とのあいだにもうけたムハンマド・アルバーキル(生没年不詳)が第五代イマーム位を継承、しかし一部の人々は穏健路線を選んだ新イマームを認めようとせず、異母兄弟であるザイド・イブン・アリー(六九八頃~七四〇)を五代目イマームとして推戴(すいたい)しウマイヤ朝に敵対した。ところが戦いに敗れたザイド・イブン・アリーは処刑死、「五イマーム派」とも呼ばれる「ザイド派」の人々は現在もイエメンなどに存在する。

第六イマーム、ジャアファル・サーディク(アブーアブドッラー・ジャアファル・アルサーディク・イブン・ムハンマドアルバーキル。六九九もしくは七〇二~七六五)はジャービル・イブン・ハイヤーン(ラテン名ゲベル。八世紀頃に活躍したとされる伝説の練金導師、実在性は否定されている)アブー・ハニーファ(六九九?~七六七。法学者、ハナフィー学派の創始者)などと親交し、神学・法学の基礎を築いて「ジャアファル学派」と呼ばれるシーア派的学問体系をクーファに根づかせた。ジャアファル・サーディクの死後シーア派は再び分裂、聖典『クルアーン(コーラン)』の内面(パーティン)的解釈を重視する人々はヒジュラ歴一四八年(西暦七六五年)、第七イマームであるムーサー・アルカーズィム(生没年不詳)を認めず、ジャアファル・サーディクのもうひとりの息子イスマーイール(生没年不詳)をイマームとして推戴、「イスマーイール派」「七イマーム派」「バーティーン派」などと呼ばれることになる。

イスマーイールの死後七イマーム派イマームの系統は途絶えたが、信者は「イスマーイールの子ムハンマド・イブン・イスマーイールは神(アッラー)に隠されただけであり、お隠れ(ガイバ)イマームは終末の日救世主(カーイム)=正しく導かれた者(マフディー)として地上に再臨する」と、信じている。その後彼らは「アラウィー派」「ムバーラク派」「ドルーズ派」などへ分裂し、レバノン、シリア、イスラエル、トルコ、インド、パキスタンなどに今も居住する。

ムーサー・アルカーズィムとヌビア人女性とのあいだに生まれた第八イマーム、ペルシア名エマーム・レザーことアリー・リダー(七六五~八一八)は、アッバース朝第七代ハリーファ、マアヌーン(七八六~八三三)に招かれバグダードへ向かう途中に毒殺死、イランの地へ埋葬された最初のイマームとなった。この頃からアラビアのシーア派住民が次々とイランへ流入、その後イマーム位は第九代ムハンマド・ジャワード(生没年不詳)、第十代アリー・ハーディー(生没年不詳)、第十一代ハサン・アスカリー(?~八七四)へと継承されるが、第十二代イマームに就任した四歳もしくは五歳のムハンマド・アルモンタザルは、父親の死の直後忽然(こつぜん)と姿を消してしまった。神(アッラー)に隠されたイマームは九四〇年頃まで代理人(バーブ)を通じその意思を伝えたと言われるが(「小さなお隠れ」)、後年神(アッラー)が完全に隠してしまい、誰にも接触できなくなった(「大きなお隠れ」)

第十二代イマームは約束のときを待ちながら、宇宙の彼方(かなた)で眠らされているという。終末の日、彼は聖霊(ルーフ)をともない〝正しく導かれた者(マフディー)〟、つまり救世主(カーイム)となって地上へ再臨し、腐敗した反イスラム勢力を武力で退(しりぞ)けこの世に正義を取り戻す。

この戦いに生き残れるのはシーア派イスラム教徒のみであり、マフディー再臨後の地上には凡(およ)千年間のシーア派世界が実現され、裁きのときは、そのあとやってくる。ムハンマド・アルモンタザルの再臨を待ち望む人々は「十二イマーム派」と呼ばれ、イランを中心にイラク南部、レバノン南部、インド、パキスタンなどに分布しており、シーア派主流としてその八割を占めるという。


【イスラム教】シーア派の終末論
シーア派主流・十二イマーム派「ハディース」など


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