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ムハンマド(マホメット)の伝説
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少し長いですがイスラム教の伝説、「預言者伝」を紹介します。イスラム教が嫌いな方は、この回は読まない方が良いです。でも、神話物語としてはとても面白いですよ。
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メッカの貴族クライシュ族ハーシェム家の一員として生まれたムハンマド・イブン・アブドッラー(西暦五六八から七三のあいだ~六三二)は幼くして両親を失い父方の祖父でカーバ神殿(サウディ・アラビア)守護者であるアブド・ル・ムッタリブに引き取られ、その祖父が死ぬと亡父の長兄アブーターリブ(?~西暦六一九頃)の家で養育された。出自は高いが両親を亡くした故に一族から疎外されていたムハンマドは、甥にチャンスを与えてやりたいと願うアブーターリブの口利きでクライシュ族アサド家出身の富豪ハディージャ(?~西暦六一九頃)の隊商を任され、無事利益を持ち帰ったあと寡婦であった彼女と結婚する(西暦五九五頃)。
あるラマダーン(断食)月の夜、メッカ郊外ヒラーの洞窟に隠り瞑想三昧に浸っていたムハンマドの前に天使ジブリール(ガブリエル)が現われ、神の言葉を詠唱し教え伝えようとした(西暦六一〇頃)。悪霊の悪ふざけと思い込み家へ逃げ帰ったムハンマドは、やがて相手が本物の天使であること、唯一神の言葉を伝えようとしていることを理解し、神の使徒としての自身の天命を受け入れる。
カーバ神殿は三六〇余柱に及ぶ雑多な神を祀りあげる大神殿で、メッカ(サウディ・アラビア)は各宗信徒の巡礼者を受け入れて繁栄する聖都だった。この土地で一神教を主張することは町全体を敵にまわすこと、カーバ神殿の利権を独占するクライシュ族に刃向かうことを意味していた。そのため唯一神アッラーへの帰依を訴えたムハンマドをもっとも攻撃したのは、自らが所属するクライシュ族の人々だった。クライシュ族はイスラム(「信仰と絶対帰依」の意味)の教えに共感し一神教へ改宗する者たちと、多神教を守りムハンマドを敵視する者たちとに分裂し、互いに憎しみを募らせた。
その弾圧の激しさにムハンマドは信徒の一部をアビシニア(エチオピア)へ一時避難させるなどしたが(西暦六一五)、メッカ残留組イスラム教徒に対する多神教徒の暴力は止まず、やがて信徒全員の集団移住を決断する。その頃、神の使徒は近隣商業都市メディナ(サウディ・アラビア)市民の代表団と、メッカ郊外の谷間で秘密会合を重ねていた。ユダヤ教徒の支配に喘(あえ)ぐメディナのアラブ人たちは、ムハンマドが説くアラブ独自の一神教をメディナにも導入したいと強く望み、イスラム側はクライシュ族の攻撃から守ってくれる、強力な保護者を望んでいたからだ。
二者の協議が合意に達しメディナ人とイスラム教徒が相互援助の誓い(西暦六二一~六二二「山あい=アカバの誓い」)を交わしたとき、クライシュ族内部に突き上げるムハンマド暗殺の動きをかろうじて押さえ込んでいた族長アブーターリブが死去、そのほぼ一週間後、ムハンマドの妻ハディージャも慣れない苦労のせいで死んでしまう。ムハンマドは悲しみに打ち拉(ひし)がれたが、泣いている間も、刺客の魔の手が忍び寄った。
メディナ市民との誓いが成立した直後から、全財産を捨て隊商の積み荷に隠れてメッカを脱出せよとの指令を受け、信徒たちは少しづつメッカを脱出し始めていた。信徒全員の脱出を見届けるまで自分は逃げないと主張するムハンマドをせき立て、神の使徒を無事メディナへ送り届けたのは教友(サハーバ、原初イスラムに立ち会った第一世代ムスリムのこと)アブーバクルだった。二重三重に襲ってくる暗殺部隊を神の木に隠されるなど間一髪のところでかわし、ムハンマドとアブーバクルがメディナへ入都したことを「移住」と言い、この日(西暦六二二年七月十六日)を紀元とするイスラム年表はヒジュラ暦と呼ばれている。
指導者ムハンマドがメディナへ到着すると、財産を放棄して逃げて来たせいで生活に困窮していたムスリムは大胆になり、メディナ近くの街道を通過するクライシュ族の隊商を攻撃した。作戦は悉(ことごと)く失敗したので、ムスリムたちに得るところはなかった。しかも貴重な荷が狙われたせいでメディナがイスラムの新拠点となったことを察知したクライシュ族は、メッカで軍を招集しメディナへ宣戦布告する。こうして二都市のあいだに、戦乱の火ぶたが切って落とされた。
宣戦布告を受けメディナで軍を招集しようとしたムハンマドだが、メディナの支配階級ユダヤ人はムスリムには非協力的で、厄介者の避難者たち(ムハージールーン)を戦地で死なせてしまおうと市民による応召の動きを妨害した。移住直後で馬も装備も調えられない避難者たち(ムハージールーン)が、こうして殆ど何の援助もなく、命を的(まと)に最前線を守ることになる。
ところが、ムスリム軍を馬鹿にしていたのはユダヤ教徒ばかりかクライシュ族も同様で、宣戦布告しておきながら攻め込んで来ることはなく、ただメディナへ至る街道をすべて封鎖しただけだった。こうしてメディナの商業活動を封じて町を兵糧(ひょうろう)責めにし、メッカ側が引き渡しを要求しているムスリムたちを、メディナ市民自らの手で差し出させる計画だ。
メッカ側のメディナ封鎖に対し、ムハンマドはイスラム支配下にある街道の、クライシュ族隊商による通行禁止を宣言する。メディナはシリアとメッカとを結ぶ主要な街道上にあり、この通行禁止措置はうまくゆけばかなりの経済的な打撃をクライシュ族に与えるはずだった。しかし街道を管理地とするベドウィン(砂漠の民)が両軍の戦闘に割って入ってしまったり、隊商の護衛軍が予想以上の規模だったりなどの不手際が続き、ムスリム軍は何度出撃してもクライシュ族の隊商を足止めできず、地団駄踏んでその通過を見守るばかりだった。そうこうするうち兵糧(ひょうろう)責めの続くメディナの食糧事情は逼迫(ひっぱく)し、ムスリムたちは追い詰められる。
業を煮やしたムハンマドはムスリム軍から精鋭八人を選び出し、普段警備させているメディナ・紅海ルートではなく、メッカ・ターイフの短距離ルートへ部隊を派遣、小規模な隊商を相手にする方針に切り替えた。問題はこのときが一年のうち四ヶ月間も設けてあるメッカ近郊の「神の休戦期間」こと、いかなる暴力行為も認められない「小巡礼の月(第七の月)」にあたっていたことだ。
精鋭部隊を委ねられ、隊長アブドッラー・イブン・ヤーシュは逡巡した。ナフラの街道で待ち伏せていると、現われたのはたった四人からなる小さな隊商だ。これすら討てないとなれば、ムスリム軍の名が廃る。しかし小巡礼月はあと一日残っており、目指す相手は急いでいる。小巡礼月の終わる前にメッカ領内へ逃げ込まれてしまえば、ムスリムは一度も勝利を挙げられず敗北者として飢え死するか、メディナを追われることとなる。
迷った末、アブドッラーは眼前の敵に襲いかかった。そして戦利品と捕虜とをメディナへ持ち帰ったが、この一件のせいでムスリムたちはかえってアラブ世界で孤立する。多神教徒に完全勝利する以外、自分たちにはもう道がない。禁忌(タブー)を犯してしまったからには、自分たちが建設するイスラム共同体の外に、ムスリムを受け入れてくれるアラブ世界は存在し得ないのだ。
こうして、神の使徒ムハンマドは立ち上がった。もはや商人でも、宗教指導者でもない。
ムハンマドはムスリム軍の統帥(とうすい)として立ち、愛馬にまたがり自ら出陣した。背水の陣のムスリム義勇軍は三百十三人、この中には初めて志願したメディナ市民(援助者=アンサール七十人とハジュラジュ族百七十余人)が含まれ、ムハンマドの愛馬を入れた馬二頭、駱駝七十頭が使役された。進軍当初の目的はクライシュ族がシリア・メッカルートで運ぶ、駱駝千頭騎馬三十からなる大隊商を攻撃することにあったが、予想通りメディナのユダヤ人が内通し、隊商の統率者アブースフヤーン(クライシュ族ウマイヤ家、?~六五三頃)が援軍を要請、ムスリム軍の待ち伏せ地バドル河(サウディ・アラビア、メディナ南西)へ現われたときには、敵は馬百頭駱駝七百頭、兵九百五十人を加え、さらなる大軍勢に変貌していた。
圧倒的に不利なこの「バドルの戦い(西暦六二四)」にムスリム軍は奇跡的に大勝利、しかし勝利の余韻をもって臨んだ次の「ウフドの戦い(西暦六二五)」では大敗北を喫し、勝利に勢いづくクライシュ族がメディナを包囲した「塹壕の戦い(西暦六二七)」では、統帥ムハンマドがアラブ初の塹壕戦と情報戦を展開した。
この戦いでは、のち〝イスラムのライオン〟と讃えられることになる、ムハンマドの年下の従弟で養子のアリー・イブン・アブーターリブが獅子奮迅の活躍をするとともに、神の使徒ムハンマドは情報操作術を駆使し〝外なる敵〟メッカ軍と〝内なる敵〟ユダヤ人を仲違いさせることに成功した。その結果同盟相手に不信感を抱いたメッカ軍は、たった一度砂嵐が吹いただけで自ら包囲網を解き、勝っていた戦いを放棄して逃げ帰って行ったのだ。
【イスラムの伝承】商人ムハンマドの戦い
イブン・イスハーク『預言者伝』など
⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒イブン・イスハーク『預言者伝』など
イスラム聖典『コーラン(実際の発音は「クルアーン」)』は、天使ジブリールの詠唱によって神の使徒ムハンマドへ啓示され、モスクの詠唱によって信徒へ教え伝えられます。このことから、『コレーの詩』の詠唱によって信徒を律していたという「女神コレー(豊穣の女神・月の乙女・水の女神、冥界神となる前のペルセポネの別名)」信仰を、イスラム起源とする説《バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典』》が存在します。
しかしながら、ディオニュソスの祭儀やオルペウス教のそれなど、主要祭儀が詠唱と舞踏であるのは古代においてむしろ一般的であり、女神コレーの祭儀に限定されたことではありません。
ギリシア神話に豊穣女神デメテルの処女相として登場する春の女神コレーは、ギリシア文化圏を離れるとケル(エジプト)、ケレス(ガリア、ローマ)、カルもしくはカルメンタ(ローマ)、カーリーもしくはマハーカーラ(インド)など、数多くの異名をもつ「運命の車輪」こと、〝永遠の時間〟を表わす「蛇女神」です。カーリーもしくはマハーカーラの祭典では「詩」、つまり各種『ヴェーダ』が詠唱されます。
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