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吊(つる)される女神たち
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バビロニア神話の創造神マルドゥクは前の創造女神を爆殺し、散り散りになったその肉体を地である自身に融合させることで、思いどおりの地位を手に入れました。
一方、インド・ヨーロッパ語族の影響が強いギリシア神話の至高神ゼウスはもっと穏便に、先住民族系男神たちは殺しても前の創造女神レア、さらにその前の創造女神ガイアとは争わず自分の母や祖母として万神殿へ迎え入れ、レアの別相ヘラを正妻に据えることで女性勢力と折り合いました。太母神信仰と共存する道を選んだラテン地域(ギリシア、イタリア、スペイン)の神話は、そのせいで太古の信仰形態を確認しやすい特徴があります。
たとえばゼウスは、わがままな地母神・正妻ヘラに翻弄される弱い夫であり、猛々(たけだけ)しい闘争女神・娘アテナに手を焼く権威の薄い父親です。このような対内的に弱い至高神像は、配下の巫女たちを管理しきれず、ときに翻弄された初期君主たちの姿が反映されたものと思われます。
最も古い時代に成立したと考えられるギリシアの神話叙事詩『イーリアス(ホメーロス作、前八〇〇頃)』では、至高神ゼウスの枕詞(エピテトン)が「〝アイギス〟持つゼウス」となっています。「アイギス」というのは「メデューサ(別名ゴルゴン、ゴルゴンは「恐ろしい老婆」の意)の生首が張り付いた山羊皮の楯」を指す言葉で、〝闘争女神〟アテナの武器である印象が強いのですが、本当のところその所有者は〝至高神〟ゼウスであり、アテナやアポロンは父の武器庫から借りて使わせてもらうだけです。
「楯」とした部分は実は「前垂れ」と訳すのが正しく、メデューサの首は本当は「山羊皮の前垂れ」にぶら下げられています。前垂れは「料理用のエプロン」のような形状のものです。それは下腹と性器を守るため女神や巫女、戦士たちが身に着けていた帯の一種で、これはのち心臓を守るための「胸当て(よだれかけのような形状のもの)」に発展しました。
メデューサは本来北アフリカ起源の太母神「ネート(イシス)」三相女神のひとりで、母、処女、老婆のうち「老婆」を務める蛇の破壊女神です。「女神ネート」はギリシア神話には巨人族に属する「知恵の女神メティス」と、英雄ペルセウスがアテナへの贈り物とする「〝蛇髪の〟怪物メデゥーサ」の二方向からとり入れられました。
ゼウスに呑み込まれる巨人族の〝知恵神〟メティス(女神メティスと交わったあと、大地の女神ガイアが「メティスから産まれる子が至高神の位を奪う」と予言したので、ゼウスはメティスを呑み込んだ。やがてゼウスの額がぱっくりと裂け、〝闘争と知恵の女神〟アテナが飛び出す)は戦闘女神アテナの母で、戦闘女神アテナを守護神とするペルセウスは「海の民」ミケーネ王家開祖とされる英雄です。神話上、ミケーネ(ギリシア語「ミュケナイ」)王家は婚姻によりスパルタ(「海の民」ドーリア人が建国)から王女ヘレネ―を迎え入れ、トロイア戦争の元凶を創り出しました《ホメーロス『イーリアス』『オデュッセイアー』》。
ところで「女神ネート(イシス)」はシュメール都市国家ウガリット(カナン地方、現在のパレスチナ)の「蛇女神アナテ(処女神アナテ)」が原型で、「蛇」は不死・永遠・生命の循環を寓意します。そのためサイスにあったネート(イシス)の神殿には太古の昔から女神を讃える「今あり、かつてあり、やがて来る者」という碑文が書かれており《プルタルコス『ON ISIS AND OSIRIS』》、この名文句はのち『イーリアス』や『(新約聖書)ヨハネの黙示録』などに流用されました。
「今あり、かつてあり、やがて来る者」とは「永遠の時間=蛇」のことです。また、蛇女神アナテと愛欲女神イシュタルの神殿にはたいてい「水の乙女マリ」が合祀されますが、ここからイシュタル(母)、マリ(処女)、アナテ(老婆→蛇の破壊神のこと)の三柱が、「神の三相(「宇宙秩序」の寓意)」を表す同一存在だとわかるのです。
「〝愛欲と破壊の蛇女神〟アナテ」はペルシアでは「〝愛欲と豊穣の女神〟アナーヒタ」になり、ギリシアへもたらされると再び分裂を起こして「〝愛欲女神〟アプロディーテ(愛神エロスの〝母〟)」、「〝闘争女神〟アテナ(処女)」、「〝神威の象徴〟ゴルゴン・メデューサ(老婆)」の三相になって定着したと思われます。そうしてそれぞれが「愛人」「娘」「前垂れ」として、ゼウスの権威を補完します。
サイス(エジプト)にあったネート(イシス)神殿は、起源前五二五年頃に始まるアケメネス朝ペルシアのエジプト征服により破壊され(カンビュセス二世、ダリウス二世などが破壊の命令を出したとして知られる。『エレファンティネ島出土のアラム語パピルス文書群』、『ベヒストゥン碑文』など)、巫女たちは犯され連れ去られました。
ギリシア・ローマではキリスト教徒に破壊(三八一年、テオドシウス帝が多神教神殿の破壊と女祭司の禁止を指示した「テオドシウス勅令」によってウェスタの神殿は閉鎖、巫女たちは解散した。三九二年異教神殿廃止令によりオリンピア神殿が破壊、翌年オリンピック競技自体が禁止された)されるまで女神神殿は生き残りましたが、「前一二○○年のカタストロフ」前後から主祭神が女神から男神に据え替えられ、巫女たちは男性祭司の支配下に入りました(前八○○年頃に成立したと考えられるホメーロスの叙事詩では、『オデュッセイアー』でもっとも重要な至高神「かまどの神」「誓約の神」が女神ヘスティアであるのに対して、『イーリアス』で男神ゼウスに変更されている。)。
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「ヘレ(ヘラ)よ、其方(そなた)は何とも手に負えぬ女、勇者ヘクトル(トロイア王子)の力を削(そ)ぎ、トロイエ勢(トロイア勢)を敗走に追い込んだのは、きっと其方(そなた)の企みに違いない。自分の悪巧(わるだく)みの報いを受け、またしてもわたしの鞭でしたたかに撲(う)たれたいか。
かつてわたしに宙吊りにされたのを忘れたか、足に重しの金敷(かなしき)をふたつ付け、手には黄金の鎖を掛けてやった。其方(そなた)は高い空の雲間に、ぶら下がっていたではないか。オリュンポス中の神々が皆わたしの遣り方に憤慨したものの、誰も其方(そなた)を解き放つことはできなかったのだぞ」
【ギリシアの神話】神々の面前で吊るされる女神ヘラ
ホメーロス『イーリアス』
⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒ホメーロス『イーリアス』
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