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封印を解かれた秘儀
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運命を変えることはできなくとも、これから辿(たど)る運命の方向を知ることで不可避の悲劇を軽減したり、どうせ成功するのなら、なるべく少ない労力でそれを成し遂げたいと考えるのは、いつの世も変わらない人間の性(さが)です。
専制君主・父権制時代の幕が開き男性にも人生を謳歌するチャンスができると、より早く「天命」を把握することがより豊かな人生を生きる近道だという思想が生まれ、市井(しせい)の熱情に応えるべく「占星術(生まれた日の星の位置で、人間の運命が決まるという考え方)」、「カバラ(ユダヤの数秘術。数字やアルファベットの使い方で占ったり、運命を切り開いたりする術のこと)」、「易(地、雷、水、山、沢、火、風、天、の組み合わせで人間の運命を含む森羅万象が決まるという考え方、8×8=64の卦がある)」など、母権制社会では門外不出とされた神殿内の秘儀(宇宙秩序を利用する方法)が、男性祭司たちの協力によってどっとばかり世に出ます(「ヘルメス文書」のようなグノーシス文書など)。
これらのうちたとえばヘレニズム世界(起源前四世紀~、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化の融合)で始まった「占星術=ホロスコプス(ホロスコープ)」は、「宇宙秩序(大宇宙、マクロ・コスモス)」と称される「天空を記号や言葉で寓意化した架空の〝天体相関図〟」へ、生年月日に手を加えることで固有の惑星と関連づけた人間(小宇宙、ミクロ・コスモス。最初に人間をミクロコスモスと呼んだのは哲学者デモクリトス)を無理やり当てはめ、その惑星の予定軌道から未来を予測するものだと言われます。
しかしそれは現代人の理解不足でそのように言われるだけであって、形而上学は勿論、古代の神秘家でそのように発言した人は筆者の知る限り存在しません。実際に古代のバビロニアやギリシアの神殿で行われていた「占星術」は、わたしたちがよく知る現代のそれとはまったく別の代物(しろもの)だったとわたしは考えます。
古代メソポタミアの占いは、羊の腹を裂く内臓占いが一般的です。たとえば羊の祭儀に臨席中で、ミルク桶を抱(かか)えながら笛を吹いていたせいで女神イシュタルに額(ぬか)づくことができず死を迎える聖王ドゥムジ・タンムーズは、「羊たちの主=羊飼い」です。アッシュール・バニパニ王の書庫から『エヌマ・アヌ・エンリル』という、この世における天の予兆と天体との相関関係を記した粘土板が見つかっていますが、その中でもっとも重要視されているのは羊の肝臓です。
古代人は航海や農事のため天体を観察したものの、そこで得られた星座の知識などを占いに利用するには犠牲祭を行いました。ここで特筆しておきたいのは、古代人(~青銅器時代)は供儀(くぎ)した犠牲獣の内臓の中に、天体(マクロコスモス)の擬態(ミクロコスモス)が創造されると信じていたことです。黄道十二宮や星座との関連は、特に犠牲獣の肝臓に顕(あらわ)れます《プラトン『ティマイオス』、アリストテレス『動物部分論』、ローマ時代の遺物「ピアチェンツァの肝臓」など》。だから犠牲式のあとの獣の解体は、祭儀においてもっとも重要な式次第でした。
彼ら古代の人々が占いの目的で星座を利用したとしたら、見ていたのは獣の肝臓であって天空ではありません。バビロニアの女王セミラミスの伝説においても女王はアモン神に犠牲を捧げ、未来の託宣を得ています。「生命の等価交換」の法則に従えば、天界に起こることを地上に再現するには、代価である犠牲の血を支払う必要があります。犠牲を捧げて約束された「未来」の実現を促進するため、後代、歳神(としがみ)の信仰が始まったとさえ、考えることができるのです。
現代においても「占星術は科学だ(天体観測の結果だ、という意味らしい)」と主張する人が見受けられますが、古代人は天体観測と占いは別物(べつもの)として扱っていました。だいいち、そもそも「人間」を「天体」に当てはめる科学的根拠がないため、当然のことながらそれはフレーザー《『金枝篇』》の言う「類感呪術」を応用した「呪(まじな)い」にすぎません。
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市のアクロポリスを下りると右側にアスクレピオスの神殿があり、神域にはブロンズ製の山羊の奉納像がある。市民がこれを信仰し金で覆っているが、そうするには理由があり、山羊座が見える頃(八月末~九月初頭)になると葡萄に被害が出るからだ。それを最小限に留(とど)めようと、市民はこれを様々な方法で祀っている。
【ギリシアの伝承】山羊座の供儀(くぎ)
パウサニアス『地理史』第二巻第二章シキュオン
⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒パウサニアス『地理史』第二巻第二章シキュオン
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