2019年5月7日火曜日

クライザ族の虐殺_「神話と占い」(その57)_






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コラの子たちと、クライシュ族とクライザ族
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メッカから押し寄せた七五○○人の兵を三○○○人で迎撃した「塹壕の戦い(ハンダクの戦い、六二七)」のあと、神の使徒ムハンマド率いるイスラーム軍はこの戦いでメッカ側に内通したメディナのユダヤ人部族「クライザ族(ベニ・コライダ)」との、最終決着を決断した。クライザ族は自らの砦に立てこもり、攻め込むイスラーム軍に抵抗したが、籠城二十五日で力尽き無条件降伏した。

しかしクライザ族と同盟関係にあったアラブ系部族「アウス族」より除名嘆願があったので、ムハンマドは同アウス族の長老サアド・イブン・ムアーズ・アルアウシーに、クライザ族の処罰を全面委託した。

すると長老サアド・イブン・ムアーズは一○○○人を超えるクライザの成人男性すべてを処刑し、女性と子どもを奴隷として売り飛ばした。アウス族長老サアド・イブン・ムアーズは、すでにイスラームに深く帰依していたのだ。


この虐殺が行われたあと、メディナに残る別のユダヤ人部族ファダク、ワーディー・アルクラー、タイマーなどはすべて、イスラーム共同体に対し恭順の意を示した。



【イスラムの伝承】クライザ族の虐殺
イブン・イスハーク『預言者伝』など
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クライザ族の虐殺は、神の使徒ムハンマドの伝説の中で、もっとも辻褄の合わないエピソードのひとつです。「塹壕(ハンダク)の戦い」のあとに登場するユダヤ人虐殺は、本当のところ伝承によって年代や順序や経緯がまったく違い、何が真実なのか判然としません。


そもそも『コーラン』はゾロアスター教『アヴェスター』「ヤシェト(讃歌)」やヒンドゥー教『リグ(詠唱)・ヴェーダ(讃歌)』同様、祭儀説明と神話からなる牧歌的な聖典にすぎず、『預言者伝(イブン・イスハーク作)』などの預言者伝承に顕(あらわ)れる神の使徒ムハンマドの姿は『福音書』イエス・キリストのそれと同じで、毅然としてはいるものの暴力的ではなく、無限に優しく無限に孤独な男性像です。


伝承の中では虐殺されるのはムスリム側と相場が決まっていて、指導者ムハンマドとアリーは慈悲深く、粘り強く許し続けます。その伝説は誤解を恐れず端的にまとめるならば、「殺されて殺されて殺されて、それでも許し続けていたところ、落ち着かなくなった多神教徒側が自分で勝手に足許(あしもと)から崩壊してゆく」物語なのです。


にもかかわらず、その伝承に忽然(こつぜん)と現われ異彩を放つのが「ハイバル砦のナイーブ族の追放」と、紹介した「クライザ族の虐殺」の、理不尽な残酷さです。


この虐殺もしくは追放に、神話を見慣れた筆者は違和感を感じざるを得ません。第一「クライシュ族」と「クライザ族」は、その音が似すぎていませんか(ただし一般にはクライシュ族は旧約聖書のノアの子ハムの子孫に現われる「ギルガジ」に同定されている)。しかもイスラム伝承に描かれるクライシュ族の共同体での立ち位置は、『旧約聖書』における「コラの子たち」と同じです。


祭司職を巡りモーセと兄アロンと揉めて排除された「コラの子」たちは、泉の管理者であり《『旧約聖書』歴代誌上九》、詠唱者でした《『旧約聖書』歴代誌上六》





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