2019年5月22日水曜日

スーフィーの教え・火の伝説_「神話と占い」(その72)_






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魂が学ぶことと、心が学ぶこと
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次に紹介するスーフィー説話は本来「教えることの難しさ」を説(と)いたものですが、わたしには「学ぶことの難しさ」の方が胸に迫ります。イスラム神秘主義者=スーフィーの言う〝頭(肉体)が学ぶ〟ことと〝心(魂)が学ぶ〟ことの違いを理解する、参考になるかと思います。


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遠い昔、ノウルという男が自然観察の末に火を熾(おこ)す方法を発見し人々のあいだへ広めて歩いた。彼の知識を理解できる部族と、できない部族があったが、彼を魔術師と思い込んだ部族の手で結局ノウルは殺された。それから長い年月が経ち、ノウルの教えはさまざまに形を変えて伝承されていた。

第一の部族では火の知識を一部聖職者の秘術として伝え、民は寒さに震えていた。第二の部族では火を熾(おこ)す技術は忘れ去られ、その道具が礼拝されていた。第三の部族ではノウルの像が神像として祀(まつ)られていた。第四の部族には火を熾(おこ)す技術は伝承されていたものの、それを信じる者もいれば信じない者もいた。第五の部族では火が使用され、暖かな暮らしと手の込んだ料理、製造業などに応用されていた。

ノウルが歩いた地域を賢者とその弟子の一行が通りかかったとき、弟子のひとりが「この地域の信仰は火を作ることに関係しているだけで、宗教上何の意味も持っていません。我々で彼らに教えましょう」と提案した。しかし第一の部族の祭司に「あなた方の秘術である火熾(おこ)しは、わたしにもできることです」と告げた弟子は連れ去られ、二度と帰ってこなかった。

第二の部族に「あなた方が礼拝しているのはたんなる道具です」と言ってみたが、「わたしたちの信仰を奪おうとしている!」と拒否反応を示された。
第三の部族に「あなたたちが神像として崇めているその人は有益な発見をした人物で、彼を祀(まつ)るより彼が発見した技術を学ぶ方が大切です」と教え諭(さと)したが、「秘められた真実を知ることができるのは、わずかな、特別な人だけです」と、反駁(はんばく)され、あとは話を聞いてもらえなかった。

第四の部族には火を熾(おこ)すことができると信じる者が存在したものの、あまりに古い伝承なので誰も実際にはおこなったことがなく、そのため賢者一行の助言を聞いて「客たちが火を作れるというのなら、教えてもらいたい」という意見や、「自分たちを騙そうとしているのじゃないか」などと、様々な意見が表れた。そして結局「火の伝説は我々部族を束ねる絆(きずな)なのだから、試したりせず、これまでどおり伝説として守り続けよう」という意見におさまった。

第五の部族は火の問題とは異なる別の偏見を露わにして、賢者一行が集落へ立ち入ることさえ拒絶した。

旅の終わりにあたり、師である賢者は言った。
「これでお前たちにもわかっただろう。人に何かを教えようと思ったら、まだ学ぶべき事柄があるということを前もって納得させる必要がある。彼らが学ぼうとするのは彼らが勝手に学ぶべきだと思っている事柄であって、実際に必要な知識ではない」


【イスラム神秘主義思想】伝アフマド・アルバダウィー「火の伝説」
美沢真之助『スーフィーの物語』
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