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次の皇帝を探る占い
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東部ローマ皇帝ウァレンスの治世下、元長官フィドスティウスが退役近衛兵ヒラリウスとパトリシウスというふたりの予言者に依頼し、次の皇帝の名を調べさせるという事件が起きた。フィドスティウスの自供により逮捕されたふたりの住居からは三脚台が発見され、証拠品として押収された。
「隠されていることを探査するときの遣り方は、家中にアラビアの香を焚き、その真ん中へデルポイ神殿にある三脚鼎を模して作った三脚台を立て、草書体のアルファベット二四文字に縁取られた合金製の丸皿を置いて、それからひとり、亜麻布の衣装と亜麻の靴下を身に着けターバンを巻いた男が木の枝を持って台にまたがり、祈るのです。そうして自分の祈りが予言神に届いたと確信するや、彼はカルパチア山脈で採れる細い糸に結ばれた清浄な指輪を手に持ち、皿の中心へ向けて垂らします。
そうやってしばらく(指輪を宙に)保っていると指輪はついに動き出し、揺れながら丸皿の縁にある特定の字母の上で静止します。これを繰り返せば次第に六脚韻詩が出来上がります。その詩はデルポイの巫女やプランキダイ(ミレトスのアポロン神殿にいた世襲神官たち)が受け取る神託と、まったく同じ音節数と韻を持っているのです。
わたしどもが次の皇帝について装置に尋ね、指輪が「Theーo(テーオ)」の二音節を、そして末尾の字母「s(ス)」を示唆した頃、参加者のひとりが「運命の決定はテオドルスという人だ! 」と叫び、正しい人が見つかったと確信できたので、探査はそれで終わりました」と、舌の先を少しづつ切ってゆく拷問の末に、ヒラリウスはやっと自供した。
捜査の報告がウャレンス帝にもたらされると、この一派が「約束の人」と思い込んで接触を図ったガリア人次官テオドルスを含め、関係者全員が群衆の面前で絞殺された。
【ローマの記録】マルケリヌス『歴史』次の皇帝を探る指輪占い
ゲオルク・キルヒナー『振り子と占い棒の謎を解く』
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キリスト教を国教化する(キリスト教以外の信仰を完全に禁じたのは三九一年、テオドシウス帝)ことで帝国の統一を図ったコンスタンティヌス帝(在位三〇七~三三七、キリスト教公認は三一三年)ですが、その息子たちは帝位を争い十五年に亘(わた)り無益な権力闘争を繰り広げます。帝国の再統一を成し遂げたのはコンスタンティウス二世(在位三三七~三六一)です。
しかしその帝国は間もなくガリア人部隊を率いる甥のユリアヌス(在位三六〇~三六三)に奪われました。彼こそ、単独皇帝として立ったおよそ十数ヶ月のあいだ国教としての祖霊信仰を復活させた、世に名高い「〝背教者〟ユリアヌス」です。ユリアヌス帝はペルシア戦役の際小アジア(トルコ)の幕舎で倒れ、そのあとは短命に終わったヨウィアヌス帝(在位三六三~三六四)を経(へ)、軍人ウァレンティアヌス(兄、西部皇帝、在位三六四~三七五)とウァレンス(弟、東部皇帝、在位三六四~三七八)の、兄弟皇帝に託されました。
東部皇帝ウャレンス一世はキリスト教以前の貴重な文書を焚書させ、過酷な魔法審問で多数の処刑者を出した教条的な皇帝として知られ、行軍中、無用な殺生の報いのようにゲルマン民族大移動に遭遇しゴート族に焼き殺されました(ハドリアノポリスで戦死)。
そもそもユリアヌス、ヨウィアヌスとガリア人部隊による勝手な皇帝推挙が続いていたため、何の功績もないまま兄の指名で東部皇帝に就任したウャレンスは、軍関係者の動向にはひどく神経質になっていました。そんななか発覚した元長官、元近衛兵、現アジア総督などが結託した反乱騒ぎは、保身のために汲々(きゅうきゅう)とする皇帝の矜持(きょうじ)を打ち砕きます。
後年ウァレンスは周囲の反対を押し切り自(みずか)ら軍の先頭に立って死地へ赴(おもむ)くことになりますが、この無謀な行軍も無惨すぎる戦死も、軍隊の人気を得るため戦功を焦ったのが原因と言われています。
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