2019年5月16日木曜日

古代ローマ・予言神の降誕祭_「神話と占い」(その66)_






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天命の書版を書き換える
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「指輪」は「〝流出〟と〝拘束〟」を意味する創造神の寓意です。その創造神の寓意を中空へ吊るし問いかけることで、創造神の予定を聞き出そうとするのが「指輪占い」です。創造神と相対するのに「中空」にこだわるのは、ギリシア神話のゼウスがヘラにしたように、創造神自身を天でも地でもない「創造の領域」に封じ込め、その一瞬自分と直に向き合わせようとするものです。


古代から中世の感覚では、創造神が降臨したばかりの「珠の内部」は原初のときと同じ「混沌(カオス)」、もしくは擾乱状態に陥っていると考えます《『オルペウス讃歌』、『アヴェスター』など》。そしてヘルメス神の杖に巻き付く上昇下降の蛇(カドゥケウス)など見るに、この創造のエネルギーは混沌の中でやがて出口を見出し〝竜巻のような〟回転、もしくは〝風のような〟直線状のエネルギーになって、外部へ流出すると考えられていたようです。


「中空」は天と地の狭間であり、そこは善でもなく悪でもなく、光でも闇でもなく、神も人間もない「異界」であって、創造神以外の何者も手出しできない「聖域」です。ここに存在できるのは創造神自身と、犠牲的精神で神を招来した占い行為者のふたりだけです。下降する創造神と上昇する犠牲者の意思は、ほんの一瞬「中空」で出会い合一することで、「天命の書板」を共有します。


ただし「天命の書板」は人間の意識や理性では理解できない代物(しろもの)です《イスラム神学》。それはただひたすら〝原初の宇宙のように〟混沌としたイメージでもたらされるので、人間がそのまま利用するのは不可能です。そのため人は質問し(出口を設ける、という意味)、創造神のエネルギーがYesへ流出したかNoへ流出したか、その動きを目で追うことが必要になります。


創造神が流れ出た方角が未来を示すと見なされるのは、「創造神が決めたことは、何があっても変えられない」原理原則があったからです。古代人の考えでは、そのときたとえばYesの方角へ「指輪」が動けば、創造神はそう実現させざるを得ないのです。


そういう意味では、実は指輪占いは「占い」ではなく「呪(まじな)い」です。「天命の書板」は我々の出生に先立って準備されているとは言え、一瞬でも創造神と合一し天の知識を共有するのですから、占い行為者は宇宙の未来に何らかの修正を加えてしまう可能性があります。


前もって書き込まれた「天命の書板」を、あとからどうして修正できるのか、疑問に思う方は多いでしょう。筆者も、もちろん同じように感じます。しかし実は、これは古代の「時間の概念」に起因する一種の言葉遊びです。簡単に言えば「創造神は永遠の時間を生きている」からです。〝始めであり終わりである〟創造神(蛇)には、本当のところ始めも終わりもなく、「先」も「あと」もないのです。


ウァレンス帝治世下、不満分子によって密かに行われた「次の皇帝を知るための占い」は、概(おおむ)ねキリスト教国教化以前のローマで催されていた、一般的な降神祭を模倣していました。ローマではたいていの神託伺いが、(洞窟の奥ではなく)丘の上の祭壇で催されました。




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- 予言を求める降神祭 -

<1>
祭壇の上で犠牲獣を焼き尽くす

<2>
犠牲の煙が天高く昇って行ったら、
花冠を被った巫女か、
葉冠もしくはターバン(花冠・葉冠・ターバンは聖別の標=しるし)を巻いた祭司が、
小枝(異界の通用口)を振って神を招来する

<3>
風の中(中空)に立ち顕れた神は、
小枝を振る巫女(祭司)へ降神する


<4>
神が降りた巫女(祭司)は神人合一し、
神託を告げる(口寄せ)




【ローマ帝国の降神祭】予言を求める降誕祭
オウィディウス『祭暦』など
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一般的な降神祭とヒラリウスたちのそれとの決定的な違いは、第一に犠牲獣を捧げないところ、そして巫女も祭司も喚ばれていないところです。巫女は祭儀に必要な性交に肉体を提供し、祭司は出家時に去勢することでこの世の喜びを神へ捧げた、ともに「(この世における)自己犠牲の代表者」です。獣を差し出さず巫女も祭司も招かないということは、ヒラリウスらが行った祭儀では、「自己犠牲」がまったく必要とされなかった事実を明らかにします。


彼らが「いかなる犠牲も必要ない」と思い込んだのは、おそらくそれが「指輪占い」だったせいです。


古代人は「珠」や「指輪」が惑星(創造神)に似ていると感じました。すると古代人の感覚では、「珠」や「指輪」はただそこにあるだけで「創造神(月や太陽)を惹きつける魔力がある」という、拡大解釈へ結びつきます。


女神神殿の秘儀が不完全な形で次々と開示されたヘレニズム期(前三二三~前三〇頃)、「珠」や「指輪」は真面目な修行や祭儀を必要とせずに神人合一を可能にする、「お手軽呪いグッズ」だという思想が広まり、「魔術」発展の原動力になりました。


しかし「〝生命=犠牲〟にしか〝生命〟を産めない」という、太古にあった「生命の等価交換」の法則は、人の心の深淵を思いの外強く呪縛しています。神のような霊力を揮う魔術師たちも、歴史上この「女神の呪い」から自由になることはありません(カトリーヌ・ド・メディチ、コルネリウス・ハインリッヒ・アグリッパ、パラケルススの死にざまなど)。実際、犠牲を捧げない神人合一を行ったこの事件では、儀式に立ち会わなかった関係者も含めて何百人もが粛正され、「次官テオドルス」を身代わりに立ててまで守ろうとした本命(ほんめい)「テオ……ス」さえ、事件の数年後に処刑されてしまいます。「皇帝を呪(のろ)う」目的は果たしたものの、その代価は予想以上に高かったと言えるでしょう。


ヒラリウスらの占いが行われた当時、もっとも帝位に近い「テオ……ス」は、のちの東部皇帝テオドシウスの父である、スペイン人将軍、〝大〟テオドシウス(父子同名)でした。


蛮族(スコット族、ピクス族)に侵入された属州ブリタニア(イギリス)の奪還に成功し、属州アフリカで起きたムーア(チュニジア)人フィルムスの反乱を首尾良く鎮圧した騎兵隊総司令テオドシウスは、その功績にもかかわらず西暦三七六年、「名声が臣下の分を超えた」咎(とが)により、カルタゴ(チュニジア)で絞首刑に処されます。謎に包まれたこの処刑はそれから遡(さかのぼ)ること、およそ四年、アンティオキア(トルコ)で起きた魔術騒動に関係があると推定されています《マルケリヌス『歴史』》






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