2019年5月8日水曜日

ユダヤ教神殿を制服したローマ人の記録_「神話と占い」(その58)_






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「ユダヤ人」とは何者か
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イスラム成立当時のアラビア(~六百年頃)では、ユダヤ人は泉のある町に住んで行き交う隊商(キャラバン)のため水と宿とを提供する、オアシスの管理者でした。彼らは往路の隊商(キャラバン)には自身の顧客を紹介して荷を売り捌(さば)くための仲介に努めるなどの後援を、復路の隊商(キャラバン)には売れ残った商品を安く買い取ったり、希望があれば帰途のための資金を貸し出したり手形を割り引くなど、資金的な援助を提供しました。


また通商相手との交渉時、隊商(キャラバン)は自身が運んでいる積荷が盗品でないことを証明するため、通過したすべてのオアシスでユダヤ人に支払った井戸の使用料の領収書(ラクダに飲ませた水の量が記載されたもの)を示す必要がありました(ムスタファー・アッスィバーイー『預言者伝』)。要するにユダヤ人はアラブの支配階級であり、ユダヤ人のネットワークはアラブの交易を支配する、すべてでした。


つまるところ、当時のアラブのユダヤ人は階級として「泉の所有者」なのであり、「周辺市場の管理者」です。その出自が元は当然「泉に祀られた女神の祭司」の子孫であったろうことを考えるとき、クライザ族がクライシュ族と似た名前を持っていたこと自体は、特に不思議なことではありません。


しかしだからこそ自分は「クライシュ族自身も、本来ユダヤ人ではなかったか」という疑いを抱(いだ)かざるを得ないのです。実際、神の使徒・第一預言者の母アーミナは、後年ムハンマドが移住するユダヤ都市メディナの貴族出身で、ユダヤ系の血筋でした。ユダヤ教の規定法(ハラハー)に従えば、神の使徒はユダヤ人です。


イスラエル建国後、世界中から集まる帰還ユダヤ人を迎えた同国では、自分たちの血筋の中の「アブラハムの血」を検証するため、医療分野の発展に力を注(そそ)ぎました。


もちろん遺伝子解析技術が利用可能となるや、アシュケナージなどヨーロッパ各地から集まった非アラブのユダヤ人(アシュケナージ、スファルディ)と、パレスチナに残留し一度もその地を離れていない〝ユダヤ人と同種族〟のサマリア人(紀元前七○○頃の分派)のDNAとを採取し、染色体の共通部分を見つけるための解析に着手します。そしてわかったことは「ヨーロッパ出身ユダヤ人はヨーロッパ人であり、ユダヤ人だけに特有な共通遺伝子などはない。本来のセム系ユダヤ人の遺伝子はパレスチナ人の遺伝子と一番似ている」という事実です《テルアビブ大学遺伝子研究所、二○○○年発表。広瀬隆一著『パレスチナ』》


一方同じころ、ニューヨーク大学メディカルセンターも同様の研究結果を発表し、「アラブのユダヤ人の遺伝子はパレスチナ、シリア、レバノンの人々と同じ」であることを明らかにしました《『ナショナル・アカデミー・オブ・サイエンス』二○○○年五月九日号》


第二次世界大戦におけるヒトラー・ナチ党(ドイツ)が今も非難されるのは、彼らが歴史で初めて「ユダヤ人」排斥をしたからです(ヒトラー「ユダヤ人とは即ち、無条件に人種であり、決して宗教団体などではない」)。それまで「ユダヤ教徒差別」や「改宗ユダヤ人差別」は存在したものの、ヨーロッパ地域に「ユダヤ人」という〝人種名〟は存在しませんでした。「クリスチャンがキリスト教徒を意味する」のと同じ感覚で、「ユダヤ人はユダヤ教徒を表わした」のです。


古来よりユダヤ教の規定法(ハラハー)では「ユダヤ人」は「母親がユダヤ人か、自身がユダヤ教に改宗した人(現在は「帰還法」にも)」のことを指します。つまり「ユダヤ教徒かユダヤ教徒の直接の子ども」が「ユダヤ人」ですが、「教会」運動はそもそも「全ユダヤ人の改宗」を目指して始まったものなので、キリスト教に改宗した「ユダヤ人」は「クリスチャン」になれました。かつ、改宗ユダヤ人は国籍が保障されました《雨宮栄一『ユダヤ人虐殺とドイツの教会』、ルーシー・S・ダビドビッチ『ユダヤ人はなぜ殺されたか』》


しかしナチ党の規定では本人の信仰の如何(いかん)を問わず、家系の中にひとりでもユダヤ教徒がいれば親族全体を「ユダヤ人」とします。ナチに主導されたドイツ軍が侵攻すればするほど、ユダヤ人の数が増えたのはそのせいです。建国当初ナチ党の影響か「アブラハムの遺伝子」にこだわったイスラエルも、今はもう囚(とら)われません。一方アラブ人だけは歴史の中で常に、そして今も、部族=人種として「ユダヤ人」という呼称を使い続けます。


帝国ローマの高官タキトゥスは、歴史書のなかユダエア征服のため集結した正規軍の構成を説明したあと、この討伐に「近隣同士のよくある憎悪からユダエアに敵意を燃やすアラビア人部隊が自発的に参加」したことを記録しています《『歴史』》。ユダエア解体のため駆けつけたこの簒奪者たちは、「ユダヤ人」の正体を知っていた唯一の証人です。





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エジプト人は動物の像や人間と動物の混成像を崇(あが)めるが、ユダエア人は唯一神を信じ、しかもそれを観念としてしか認めない。神の姿をこの世にある、いずれ朽ち果てる材料を使って人間のように表現することは、彼らにとっては神への不敬にあたり許しがたい行為なのだ。そのため彼らの町には如何なる神像もなければ、神殿にどんな像も準備されてはいない。王の像もなく、ローマ帝国の偉人の像もない。

ところで神殿を最初に征服したペンペイユスによると、ユダエア教の祭司は頭に木蔦の葉冠を被り、笛や長太鼓に合わせて歌を歌っていた。神殿の中には一本の黄金の葡萄の樹があった。これらのことから、彼らが崇拝するのは「東方の征服者リベル・パテル(ディオニュソスのこと)」に違いないと考える人がいる。しかしこの二つの宗教の礼拝様式はまったく似ていない。リベルの礼拝は祭のように陽気で賑やかだが、ユダエア人の儀式は狂気じみて不快なのだ。



【ローマの記録】ユダエア神殿を最初に征服したローマ人ポンペイユスの記録
タキトゥス『歴史』第五巻ユダエア
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「リーベル・パテル」はディオニュソス教に吸収された「〝自由の神〟パテル」「〝解放者〟パテル」というローマの古い神で、ディオニュソスの相のひとつと言われます。ところが実際には、リベルというのはユピテルの呼び名「自由の父(リーベル・パテル)」であって、ユピテルの一相(ペルソナ)です。


葡萄の木は女神イシュタルとその愛人タンムーズ(ドゥムジ)の聖木であり、タンムーズの祭儀が「(豚=イシュタル、に殺された)お葬式」であったことは以前の記事で説明しました。笛とタンバリン、「泣き女」の大騒ぎは今でもパレスチナのお葬式には必需品です。


本来「お葬式」が主要な祭儀であったタンムーズの祭りがディオニュソスの祭りにおいて陽気に催されたのは、「タンムーズ=ドゥムジ」がディオニュソス神としてローマに取り込まれる際、至高神ユピテルの一相(ペルソナ)「〝自由の神〟パテル」と習合したからです。タンムーズ=ドゥムジの宗教は本来的に陰気でかつ、騒がしい「お葬式」なのです。


ユダエアに居住していた人々はアラム語を話す北方アラブ人で、アラブ人の言う「ユダヤ人」という呼称は、古代アラブでは貴族階級の総称だった可能性があります。預言者伝承で語られるユダヤ人虐殺は、『コーラン』成立以前に起きた、「コラの子ら(詠唱者たち)」の水利争いの記憶だったかも、しれません。





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