2019年6月2日日曜日

新訳聖書・ヨハネの黙示録_「神話と占い」(その83)_






************
ヨハネの黙示録と千福年説
************


「神学論争」で知られるアレクサンドリア司教ディオニシオス(二○○~二六五頃)は、「千福年説」はアジア的すぎるという理由から『ヨハネの黙示録』の正典化に強い異議を唱え、その筆者が十二人の使徒のひとり「ゼベタイの子ヨハネ」であるという伝承までも否定しました。ラテン教会側はいったん彼の論を退(しりぞ)けますが、結局『ヨハネの黙示録』の正当性を証明しきれず、その真正を議決したのはやっと一五四二~一五六三年「トリエント公会議」でのことでした。


アレクサンドリア教会の流れを汲(く)む正教会(ロシア正教=ギリシア正教、セルビア正教など)においては、『ヨハネの黙示録』は今も祭儀で朗読されません。


アレクサンドリア(トルコ)やギリシアなどに建設され、信徒の多くが自(みずか)らも「アジア人(当時の「アジア」はギリシアから東を指す)」であった初期教会(東方教会)は、古くからインド・アーリア語族の「時代の更新思想」には馴染みがあり、そのため『ヨハネの黙示録』を目にした初期教会教父たちに「これはキリスト教ではない」という、強い拒絶反応が出たと言われます《ジャン・ダニエル―『キリスト教史1』》。他方ラテン教会側はその正典化に最初から前向きだったのですが、それは第一にアジア思想に疎(うと)かったから、第二にガリア、ゲルマンという完全にインド・ヨーロッパ語族主体の、未開拓の布教地域をたくさん抱(かか)えていたからと言われます。


ガリアには「〝天が堕ちてきて〟時代が更新される思想」があり、ゲルマンには「〝世界樹(ユグドラシル)が腐って倒れて〟時代が更新される思想」があります。


ラテン教会はこれら未開地の人々をキリスト教化するため、「アルスターの英雄」対「コノートの英雄」(ケルト=ガリア)や「アース神族」対「ヴァン神族」(ゲルマン)のそれのように、対立する権威の拮抗(きっこう)と最終決着が描かれる、教会独自の終末論を必要としていました。




⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
第七の天使がラッパを吹くと、天に騒がしい声が沸き上がり「この世の国は、主とキリストのものになった」と告げ広げた。そして天空にそびえる神殿の扉が両側へ開き、契約の櫃(ひつぎ=箱のこと)が示された。

天には壮大な印(しるし)が顕(あらわ)れた。太陽の光輪に包まれ足許(あしもと)に月を置き、額に十二の星冠を戴(いただ)いた婦人が空中に浮かび上がったのだ。婦人が出産しようとすると七つの頭と十の角を持つ赤い竜が近づき、生まれる赤児を喰(くら)うため婦人の前へ立ちはだかる。婦人は神が準備した荒野(あれの)へ遁(のが)された。そうして戦いが始まり、天使ミカエルとその軍(いくさ)によって竜(悪魔)とその使徒(サタン)らは天界を追われ地上へ転落した。地上に墜ちたと気づくや竜は婦人を追ったが、地が匿(かくま)って渡さなかった。

わたしはまた、新しく海に七つの頭と十の角(つの)持つ獣(サタン。七つの頭はローマの王たち、十の角はまだ国を持たない蛮族の王たち)が湧き上がるのを目撃した。竜がこの獣(けもの)に権威を与えたので、「仔羊の命の書(モーセ五書=トーラー)」にその名を記されていない人々はこれを礼拝した。

次にわたしは仔羊(キリスト者とユダヤ人)のような二本の角を持ち、竜のように話す新しい獣(偽預言者)が台頭するのを目撃した。これらの獣(けもの)は先行する獣(けもの)におもねって偽の奇跡を行い、偶像を信じるすべての人々を優先するため、その右手と額に(悪の)刻印をした。智恵ある者は獣の数字を数えよ、それは六六六(ヘブライ語とギリシア語の子音の数でいうと、「神なる皇帝」「皇帝ネロ」の意味)である。

しかしシオンの丘には十四万四千人の仔羊が(イスラエルの十二氏族と十二人の使徒を掛け合わせ、一○○○倍した数秘術)いる。彼らの額には仔羊(キリスト者・ユダヤ人)の名と仔羊の父(神)の名が記(しる)されている。

見上げると、天使たちが天頂を飛び交(か)っている。第一の天使は「神を恐れよ、審判の時が来た !  」と叫び挙(あ)げ、第二の天使は「倒れた、  淫行の葡萄酒を呑ませた彼(か)のバビロンは !  」と叫び挙(あ)げた。

次に天空の神殿から「七つの鉢に盛られた神の怒りを、地上に注(そそ)ぎなさい」と天使に命じる声が聞こえた。そこで第一の天使が鉢の中身を地上に注(そそ)ぐと、獣の刻印を押されている者たちに悪性の腫(は)れ物ができた。第二の天使が鉢の中身を海に注(そそ)ぐと、海は死人の血のようになった。第三の天使が鉢の中身を川に注(そそ)ぐと、川の水は血のようになった。第四の天使が鉢の中身を太陽に注(そそ)ぐと、太陽は人間を焼くことを許された。第五の天使が鉢の中身を獣の王座に注(そそ)ぐと、獣が支配する国は闇に覆われた。第六の天使がその鉢の中身をユーフラティスに注(そそ)ぐと、日出(ひので)の方角に道ができ竜(悪魔)と獣(サタン)と偽預言者の口から悪魔の霊が吹き出し世界中の王を迷わせて道を通らせ、ハルマゲドンと呼ばれる丘(メギドの丘)へ集結させた。第七の天使が鉢の中身を空中に注(そそ)ぐと、天空から「事は成就した!  」という声が響いて稲妻が走り、雷が落ちて大地震が起き彼らの町は滅(ほろ)んだ。

わたしは七位の天使のうち一位の天使に荒野へ連れてゆかれ、「大バビロン、地上のすべての忌(い)まわしい者たちの母」という奥義のモノグラム(組み合わせ文字。「バビロン」の守護神イシュタルを指す。ただしここでは「バビロン」は淫らな都「ローマ」の寓意)を額に刻まれ、聖人とイエスの殉教者たちの生き血に酔い痴(し)れる大淫婦(イシュタル)の裁きに立ち会った。

さらにわたしは大群衆が「ハレルヤ!  仔羊(キリスト者)の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた」と歌うのを耳にした。

すると天空の門が開き、白馬にまたがる騎士が雲を背負って現われた。「真実」と呼ばれるこの御方(おかた)は自身は血まみれの衣(ころも)を着ながら白い麻布を纏(まと)う天の軍勢(いくさ)を率(ひき)いて諸国を巡り、正義の鉄の杖で人々を治めた。その衣と腿(もも)には「主の主、王の王」と書かれていた。

その後、太陽の光輪の中に天使が立ち顕(あらわ)れ「さぁ神の宴会に集(つど)いたまえ。王の肉、千人隊長の肉、獣の肉を食べよ」と宣(のり)した。地上の王たちとその軍勢、獣と偽預言者は白馬の騎士らに捕らえられ、火と硫黄(いおう)が燃えている「火の池」へ投げ込まれた。

やがて鎌と鎖を手にした天使が降りて来て、悪魔でもありサタンでもある竜を捕らえると底なしの淵へ投げ入れて鍵を掛け、千年のあいだ幽閉した。彼(か)の竜と獣のために斬首された浄(きよ)らかな人々は復活し、千年のあいだ司祭としてキリストとともに世を統治した。

キリストの直接統治の千福年が過ぎるや竜(サタン)は牢から開放され、地上の四隅にいるゴグとマゴクを迷わし伴(ともな)った。その数は夥(おびただ)しく、やがて聖なる陣営を取り囲んだが、天から炎がくだり来て彼らを焼き尽くし、竜はそのあと獣と偽預言者の待つ火の池へくべられた。

すべてが終わったあと、玉座に座る御方(おかた)によって「命の書(キリスト者の記録)」が開かれ、人々は裁かれた。海と死と黄泉(よみ)の国が呑みこんでいた死者たちを差し出し、彼らはそれぞれ「命の書」に書かれた自身の行いに応じて裁かれた。ただしその名が「命の書」に記されていない者たち(非キリスト者)は、最初から第二の死である「火の池」へ投げ込まれた。




天と地と海は消え去り、そこへ聖なる都、新しいエルサレムが、花婿のため着飾った花嫁のように天上からしずしずと降臨する。

するとわたしは玉座の御方(おかた)が「見よ、もはや死はなく、悲しみも嘆きも労苦もない。わたしはすべてを新調する。わたしはアルファ(始め)でありオメガ(終わり)である。渇く人には無償で命の水(記憶の水)を呑ませるだろう」と、言うのを聞いた。新しいエルサレムの町は水晶と宝石で出来ており、神の玉座から湧き出す命の水の川とそこから生(お)い茂る命の木があるだけで神殿はなく、呪(のろ)いもなく、神の僕(しもべ)たちは神に仕えて御顔(ごがん)を仰(あお)ぎ、その額には神の御名(みな)が記(しる)されている。



「わたしイエスは諸教会のため伝令を遣(つか)わし、以上のことを証(あかし)した。わたしはダビデのひこばえ(切り株から生い出る若芽のこと)、輝く明けの明星である」


霊と花嫁とが言う。
(「マラナ・タ」は聖ペトロと聖パトロが使ったイエスへの渇望を表す言葉)

おいでください(マラナ・タ)
これを見聞きする人も『おいでください(マラナ・タ)』と、言ってください。
渇く者はおいでください(マラナ・タ)、命の水に価(あたい)はご不要」と。
玉座の御方(おかた)はこうも言う「そうとも。わたしが来る日は近い」と。
アメン、主イエスよ、どうぞおいでください(マラナ・タ)


【キリスト教】キリスト教の終末論
『新約聖書』「ヨハネの黙示録」

⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒


「偽典(ぎてん)」なのでしょうが、それもまた主の創り給うたひとつです。古代ギリシアや古代インド・ペルシアにあった「時代の更新」思想が宗教経典になったもののなかでは、「ヨハネの黙示録」は最高に美しいひとつと感じています。


わたしの使っている資料のひとつは、フェデリコ・バルバロ神父の『新約聖書』です。とても美しい聖書です。いつの日か、これをもっと紹介したいです。


本当は、わたしのお勉強メモはまだまだ続きますが、「ヨハネの黙示録」があまりに美しいので、「神話と占い」のシリーズは、ここでいったん止(や)めておきますね。わたしのつたないメモを読んでいただいた方には、心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。





2019年6月1日土曜日

イスラム教スンニー派の終末論_「神話と占い」(その82)






********************
ヤージュージュとマージュージュが暴れだす
********************


⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
終末の日が近づいたとき、はるか昔イスカンダル(アレクサンダー大王)が大地のさい果て、太陽の昇る地(北東)へ幽閉した獰猛な巨人たち、ヤージュージュ(ゴグ)とマージュージュ(マゴグ)が、山と山のあいだに築き上げた堅固な防壁を崩して暴れだし、世界を恐怖に突き落とす。そこへ〝反メシア(ダッジャール)〟が現われて人々を撹乱し、およそ四十年間(四十日とも)地上を支配するので、イスラームはないがしろにされ人々は大いに堕落する。

しかしそのとき、神の使徒・第一預言者ムハンマドの家系(シャリーフ=クライシュ族ハーシェム家)に、〝正しく導かれた者(マフディー)〟が現われる。ほぼ同じ頃〝聖霊(ルーフ)〟イーサー(イエス・キリスト)もジブリール(ガブリエル)(ひき)いる天使隊を連れて地上へ再臨、マフディーと一致協力し巨人やダッジャールを殲滅(せんめつ)する。ダッジャールたちが完全に取り除(のぞ)かれたとき、イスラム法(シャリーア)による正義が真の意味でこの世に実現されるのだが、審判までもう、あまり猶予はない。地上に平和が取り戻されるや四枚の翼を持ち、頭は七天の最上層へ、足は七地下の最下層へ達する巨大な死天使イスラーフィールが顕(あらわ)れ、平原に立ってラッパを二度吹く。

一度目のラッパで戦乱に生き残った人々はいっせいに死に、二度目のラッパで昔死んだ人も今死んだばかりの人も皆いっせいに復活する。復活した人々は平地に集められ、神(アッラー)の裁きを受けることになる。このとき、神(アッラー)の審判をとりなすことができるのは整列した聖霊(ルーフ)・天使の誰か、もしくは復活した第一預言者ムハンマドだけだ。神の審判によって、人々は楽園(ジャンナ)へ行ける組と火獄(ジャヘンナム)で苦しむ組とに分けられる。

来世は楽園(ジャンナ)と火獄(ジャヘンナム)の二世界から成り立っている。死はなく、終末の日はもう二度と訪れない。楽園(ジャンナ)へ受け入れられた人々は未来永劫に幸せで、火獄(ジャヘンナム)へ投げ込まれた人々はただ苦しみながら、終わりのない来世を生きなければならない。


【イスラム教】慣行(スンニー)派「終末論」
イスラム主流・慣行(スンニー)派「ハディース」など

⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒






2019年5月31日金曜日

バラモン教・時代の更新と破壊者カルキ_「神話と占い」(その81)_






*******
千福年説の正体
*******


「聖霊」「救世主」「再臨=再生=復活」「千福年説(「千年王国説」「至福千年説」「千年至福説」ともいう)」というキーワードに彩られたシーア派マフディー論(マフディー再臨後の地上にはシーア派ムスリムしか生き残れない。シーア派にとって終末はシーア派世界を千年も謳歌したあとゆっくり訪れる天国)が、『新約聖書』に収録された『ヨハネの黙示録』に酷似していることはよく知られています。しかしシーア派がキリスト教を真似たわけではありません。「千福年」の思想は、アジア世界に古くから定着していたものです。



⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
宇宙霊=ブラフマー(宇宙精神とも)が目覚めると三界(天地空)が創造され、ブラフマーが眠ると三界は混沌に突き落とされる。ブラフマーの一日は、地上の四十三億二千万年に相当する。カルパは千回の大時代に分割でき、各マハユガはさらに四つの小時代(クリ、トレタ、ドワパラ、カリ)に分割される。

わたしたちが生きる堕落の時代カリユガでは人々は邪悪でその大半がシュードラ(奴隷)で、その惨(みじ)めさは破壊者カルキが来臨したとき、ようやく終わりを告げることになる。シャンバラという村の祭司長の家に生まれる破壊者カルキはブラフマーの一部であり、ヴィシュヌ(太陽神、創造神)十番目の化身(1、マツヤ→2、クールマ→3、ヴァアラーハ→4、ナラシンハ→5、ヴァーマナ→6、パラシュラーマ→7、ラーマチャンドラ→8、クリシュナ→9、クリシュナ仏陀→10、カルキ)である。カルキは白馬に乗って地上に現われ、世界中を駆け巡って徹底的に悪を打ち滅ぼす。彼の使命は来たるべき「創造の更新」の前ぶれとして、世を浄(きよ)めることにある。

百年に亘(わた)る大飢饉のあと七つの太陽が空に昇り、わずか残った地上の水をすべて枯らしてしまうだろう。そうして太陽はカルキの勝利を待って大地を燃やし尽くし、その後雨が降り続いて地上を水底へ沈めるだろう。すると水面に蓮の花が開きブラフマーを閉じ込めて眠らせる。不滅の神々も死を避けられない人間たちも、このとき再び宇宙霊=ブラフマーに吸収され深い眠りに堕ちるだろう。

その後ブラフマーはおよそ一千年の眠りに就く。この間ブラフマーは黄金色(こがねいろ)に輝く宇宙卵の中に入りロータス(睡蓮)に乗って水面に浮かんでいるが、目を覚ますやまた、あらためて創造の為(し)事に着手する。


【バラモン(ブラフマン)教】カリユガ
「ブラーフマナ」、「プラーナ」など
⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒

「七つの太陽」という表現は黙示録文学にはお馴染みの表現で、七天それぞれに存在している太陽がいっせいに地上へ集まってしまう危機的状況を表します。終末における「天層の崩壊=神々の黄昏(たそがれ)」の暗喩です。紀元前八〇〇年頃記述された『ウパニシャッド』などから推定するに、紀元前一〇〇〇年頃成立した初期ヒンドゥー思想「バラモン教(「ブラフマン教」ともいう)」は、早くも「時代は更新される」という考え方を中心教義に据(す)えていました。


現在では、インド・ヨーロッパ語族が本来的に持っていたこの「更新」思想が、セム語族が本来持っていた「一度きりの人生・一度きりの時代」を訴求(そきゅう)する精神と不自然に融合した結果、「終末論」が生まれたものとみなされています。


ところで「千福年説」は神々や人間の魂が「時代の更新=蘇(よみがえ)り」を待つあいだ「宇宙霊の中で過ごす一千年」がもとの形です。ブラフマーの今日から明日への移行時に訪れるつかの間の休息期(睡眠)だったものが、循環しない時代の中にとり残されているものです。






TOPへ戻る